ニュースNEWS

特集・評論ARTICLE

新作情報NEW RELEASE INFORMATION

週末映画ランキングMOVIE RANKING

専門家レビューREVIEW

ドリーミン・ワイルド 名もなき家族のうた

公開: 2025年1月31日
  • 俳優  小川あん

    70年代にアメリカで「ドリーミン・ワイルド」というアルバムを自主制作した兄弟と仲間を描いた、実話に基づく音楽ドラマ。過去と現在を交錯させながら、名声と家庭、成功と失敗のはざまで揺れる兄弟や家族の絆を描く。良かったのが、主人公のドンは愛に溢れて育った環境だったこと。親は夢を全力で応援し、兄は弟を支えるために側にいる。だからこそのプレッシャーと苦しみ。地味でありながらも、ケイシー・アフレックの哀愁漂う芝居は感動ものだ。ケイシーは田舎町がよく似合う!

  • 翻訳者、映画批評  篠儀直子

    30年前のアルバムが発掘され大バズりとなれば手放しで喜びそうなものだが、そうはいかない事情が主人公にはある。10代の自分との対峙、兄との立場の差など全部映画的に表現されていたのに、クライマックスで台詞で語りなおされてしまうのは残念な気もしたが、場面の状況的に仕方ないか。それでも語り口に「アメリカ映画」としか言いようのないしみじみとしたよさがある。「サバービコン」以来何となく動向を気にしているノア・ジュプが、歌声も聴かせ、健在ぶりを披露しているのが個人的にうれしい。

  • 編集者/東北芸術工科大学教授  菅付雅信

    70年代にデビューしたもののまったく世間から評価されなかった兄弟デュオが30年後にコレクターから再評価され、再発と記念ライブが決まる。しかし、それは兄弟にとって過去と深く向き合うことだった。「夢追い人」であるデュオの弟とそれを支える父、諦めつつある兄との確執や和解が、芳醇な感情のタペストリーのように描かれる。最後の時代を超えたライブの描写が素晴らしく、商業的な成功よりも自らの表現や人間関係の成熟を選んだ姿勢にポスト資本主義な豊かさを感じる。

>もっと見る

ザ・ルーム・ネクスト・ドア

公開: 2025年1月31日
  • 俳優  小川あん

    大女優二人が戦争記者、小説家という役柄を通じて、それぞれの経験に裏打ちされた人生観・死生観を語り合う。死 (または生) への強い欲望を描くことを、エモーショナルにせず、ほぼ語りのような会話と束の間の沈黙で表現する。そして顕わになる、若かりし頃の二人の仕事への気概、誇りが説得力を与える。描写まで浮かぶ。わたしも歳を重ねて、この境地までいきたいと俳優人生と向き合わなければいけない。アルモドバルが70代にして初の英語劇ということで、想像を超えた静かな傑作だった。

  • 翻訳者、映画批評  篠儀直子

    アルモドバルの色彩豊かな画面で語られる、死についての思索。ジョイス/ヒューストンの「ザ・デッド」への美しい言及があり、死を間近に見据えた人間の運命が、死を目前にしているかもしれない地球の運命と、不意に連結される瞬間もあり。とはいえ最大の見どころは、舞台劇のように会話が続く作品世界を隙なく支える、ティルダ・スウィントンとジュリアン・ムーアの安定感と凄み。娘ミシェルとの関係が良好であったならマーサの選択は変わっていたのかもしれないと思うと、何とも言えない気持ちに。

  • 編集者/東北芸術工科大学教授  菅付雅信

    アルモドバル監督初の英語作でT・スウィントンとJ・ムーアという名女優の共演。病に侵され安楽死を望む女性とその親友で最後を見届けようとする女性の数日間を描く。名作になりそうな材料が揃いながらも、アルモドバル流の色彩美学が強調され、インテリア雑誌のファッション・シュートのような場面が連続する表層性。彼女らの元恋人で悲観主義のインテリ男(ジョン・タトゥーロ)が今の世界への気障な嘆きを語るが、映画全体が上流階級の優雅で軽薄な悲観主義に終わっており、その価値観を肯定し難い。

>もっと見る

BLUE FIGHT ~蒼き若者たちのブレイキングダウン~

公開: 2025年1月31日
  • 文筆家  和泉萌香

    「ごくせん」や「ROOKIES」もろもろ、私が小学生、中学生頃の「不良ドラマブーム」はすごかったと記憶しているが、いつの間にかすっかり見なくなり、「ツッパリ」どころか「不良」も死語に近づいているのだろうか(最近の不良はそういった格好をしていないと記事で読んだことがある)。物語はいたって紋切型の青春エンターテイメントで、全篇「ネット界と映画界のコラボ」の印象にとどまるが、今回が初主演の木下暖日、吉澤要人の溌剌とした姿は眩しくこれからが楽しみ。

  • フランス文学者  谷昌親

    「クローズZERO」のスタッフやキャストが参加しているという触れ込みのせいで、最初から最後まで殴り合いをしている映画なのかと思いきや、少年院での出会いから始まるドラマとして描かれていて、不良少年ものであるとはいえ、直球すぎるほどの青春ドラマとなっている。三池崇史監督の瞬発力は随所に感じられはするが、ブレイキングダウンそのものも含めて、青春ドラマ的な親和力のなかにすべて包み込まれてしまった。「DEAD OR ALIVE」シリーズのような圧倒的爆発力が懐かしくなる。

  • 映画評論家  吉田広明

    格闘技の試合に出場しようとしてどん底から立ち上がる少年二人と、彼らに敵対する者たちとの人間模様。最近多い不良少年抗争ものに関心のない当方でも興味深く見られたが、それにはこれが類型的物語であることも寄与してはいて、「拳で語る」という言い回し通り、殴り合いの中で互いを理解してゆき、最終的に悪人はいなくなる予定調和の展開。新人である主演の二人はじめ少年たちが見知らぬ顔なのが生々しい感触でよいだけに、カメオ出演の多さは正直鬱陶しいし醒める。

>もっと見る

ゴールドフィンガー 巨大金融詐欺事件

公開: 2025年1月24日
  • 俳優  小川あん

    製作費70億、贅沢だ! フィクションとはいえど80年代香港の金融業界が超エンタメ。主演二人の見事なスターっぷりが相性抜群◎。テンポ重視で、どんどん詐欺。どんどん人殺し。どんどん金儲け。この急速なスピードで成り上がっていく様は見ていて面白い。舞台も豊富で、なんじゃこりゃ、と思うような巨額のお金を費やしたオフィスや、明らかに危険な匂いのする廃墟のような取引場。アジア圏内だけに、親近感。トニー・レオンは、イケオジ。彼のベストアクト「花様年華」から25年かぁ。

  • 翻訳者、映画批評  篠儀直子

    〈君の瞳に恋してる〉が流れるモンタージュ・シークエンスまで(前半部)は、ケレンにあふれ、アップビートでゴキゲン。ところが後半、展開が何だか駆け足気味になり、ジャンルまで変わったかのようになって、全体で見るとどうもバランスが悪い印象に。もしかしたら配信のミニシリーズにしたほうがいい題材なのかもと思ったら、この事件をもとにした連ドラはすでに2020年に香港で放送されているとか。けれども2大スターの顔合わせの魅力は絶大、70・80年代香港の再現も映画ファンには感慨深いかと。

  • 編集者/東北芸術工科大学教授  菅付雅信

    トニー・レオンとアンディ・ラウが「インファナル・アフェア」シリーズ以来、およそ20年ぶりに共演した、香港のバブル経済における金融詐欺事件をめぐるドラマ。詐欺師役のレオンと捜査官役のラウの15年にわたる駆け引きを描く。間違いなく魅力的なキャスティングなのだが、波瀾万丈な15年を圧縮して見せようと、映画は2時間総集篇のような慌ただしさ。さらにVFXがこれでもかと使われ、ゴージャスな犯罪譚がチープなルックに。化学調味料がふんだんに入った満漢全席の味わい。

>もっと見る

おんどりの鳴く前に

公開: 2025年1月24日
  • 文筆業  奈々村久生

    邦題は聖書に出てくる言葉で、イエスが弟子の裏切りを示唆したもの。平和とは臭いものに蓋をして見て見ぬふりを決め込んだ上に成り立っているという皮肉な事実が突きつけられる。田舎の同調圧力から生まれる異常性はよそ者によって暴かれることが多いが、告発者が内部にいた場合はどうなるか。それは地獄でしかないことがドライな語り口で描かれるが、大衆の信じるもの=正義になるのは世の道理で、この世界は大きな田舎に過ぎない。それをニヒリズムでは見過ごせなかった主人公の悲哀が染みる。

  • アダルトビデオ監督  二村ヒトシ

    主人公がとても不気味なんだが、それは顔つきとか猫背とか物腰とか、俳優の的確な表現によるもので、物語レベルでは不気味じゃないどころか彼の理性や感情、欲望(というか希望と絶望)はとてもよくわかる。観ている我々にとってとてもよくわかる人物(我々自身と言ってもいい)が、映像の中ではとても不気味だという切実。田舎ホラーかと思ってたら社会派、しかも声高に政治の正義を語るのではない、地に足のついた普遍的なドラマ。ラストのオフビートな衝撃の展開に笑いながら泣くしかない。

  • 映画評論家  真魚八重子

    田舎で珍しく惨殺事件が起こる。警官のイリエは村長や司祭からまあまあと丸く収めるよう促される。すでにお膳立ても出来ていて、村はすぐ元の落ち着きを取り戻すだろう。しかし新たにやって来た若い警官は疑念を抱き、引き続き独自で捜査する。田舎者で将来は果樹園を経営しようと思っていたイリエは、気がつくと哲学的な問いの前に立たされ、逃げ場を失っている。良心に従って崖っぷちに立つか、良心に背き一生十字架を背負うか。ラストの銃に不慣れな者たちの銃撃戦が胸を打つ。

>もっと見る

蝶の渡り

公開: 2025年1月24日
  • 映画監督  清原惟

    古い家の中に芸術家のコミュニティがあるという設定は面白いが、自分が土地の歴史的背景を知らないせいなのか、彼らの生活をあまりリアリティを持って受け取ることができなかった。主人公の画家コスタのかつての恋人が、コスタや他のメンバーよりも明らかに若い俳優なのにも、美しさを強調する演出だとしても違和感を感じてしまう。よく知りもしない外国人と結婚しようとするエピソードなどは痛々しく、切実さと喜劇のバランスの中で迷子になった気持ちだった。

  • 編集者、映画批評家  高崎俊夫

    昔見た「ロビンソナーダ」の監督の新作と聞いて驚いた。ソ連から独立後の戦火にまみれた複雑なジョージアの現代史が迫真的なモノクロのニュース映像と親密でプライベートなビデオ映像を交錯させつつ綴られる。27年前の祝祭に満ちた日々と内閉した現在が対比される。画家のコスタの半地下の家は、離合集散を繰り返しながら、甘美で痛切な記憶を共有している芸術家たちにとってはかけがえのないアジールなのである。全篇に柔らかな官能が脈打っているのもこの映画の際立った美点である。

  • リモートワーカー型物書き  キシオカタカシ

    月並みだが、映画鑑賞の醍醐味の一つは異文化を知ること……ソ連崩壊直後?コロナ禍直前までのジョージア人の想いと生き様を悲喜こもごもの90分間に優しく凝縮した物語に、このタイミングで触れることができたのは得難い体験であった。先月の「私の想う国」でも感じたが、各国の映画作家が希望の灯火を次世代に継承しようとしても逆風が吹き荒れているのが世界の潮流――。そんな中で本作もまた、映画を観終わった先に待つ“その後”の現実から目を逸らさせず、向き合わせる力を持つ。

>もっと見る

雪の花 ―ともに在りて―

公開: 2025年1月24日
  • ライター、編集  岡本敦史

    時代劇とは現代を描くためのジャンルである、という韓国のイ・ジュニク監督の言葉を思い出す一作。医療従事者の努力と献身を伝える実話を、この時代に映画化する意義は大きい。なればこそ、ワンシーン・ワンカット演出にこだわるあまり、本来エモーショナルな物語が必要以上に枯れたタッチで綴られることには若干の疑問を覚えた。効果的な引き画の長回しもあるが、ごく普通の切り返しが素直に良い場面もある。苛酷な山越えのあとのくだりも、割り方次第でより実感を増した気が。

  • 映画評論家  北川れい子

    時代劇、現代劇を問わず、小泉堯史監督が描く人物やその世界観には常に生真面目な誠実さがあり、観ていていつも安心する。漢方医である主人公が、蔓延する疫病の治療薬を求めて奔走するという本作も、つい昨日のコロナ騒ぎを体験しているだけに、主人公ならずともその不安や恐怖は他人事ではない。ただいくつかアクションはあるものの、いまいちドラマ性が希薄で、演出も楷書書きのようにどこか堅苦しい。いや、だから退屈、というわけではないが、正面芝居が多いせいか窮屈感も。

  • 映画評論家  吉田伊知郎

    風の音が響き、草木の匂いが漂い、歴史的建造物に手を加えて撮ることで人が暮らす温かさが息づき始める。そんな手間暇をかける時代劇は今や皆無だけに、その悠々たるリズムと共に画面に惚れ惚れする。感染症の拡大と予防接種に対する流言飛語に向き合う物語は、増え始めたコロナを題材にした作品の中でも突出した完成度。役所広司の存在感が役よりも大きすぎる問題や、チャンバラのサービスは必要だったのかという疑問はあれど、「赤ひげ」への静かな返歌として好ましく観る。

>もっと見る

アンデッド/愛しき者の不在

公開: 2025年1月17日
  • 映画監督  清原惟

    ゾンビ映画の定石を、ただただ静謐な映像で捉えているという印象。俳優のお芝居、細かい演出には引き込まれるところはあった。母親を亡くした娘の手先の、ほとんどはげてしまったマニュキアが、泣かずにいる彼女の悲しみを表していた。セットや美しいロケ地の数々に、映像に対する美学を感じるが、生前の人々の関係性や暮らしがあまり想像できないことで、風景がうまく物語と結びついていく感じがない。すでに失われてしまったものを、映画の中で描くことの難しさについて考えさせられた。

  • 編集者、映画批評家  高崎俊夫

    かつて「霊魂の不滅」というスウェーデンのサイレント映画の名作があったが、これはいにしえの民間伝承のごとき死者への鎮魂というモチーフの復活とみるべきか。あるいはゾンビ映画の一変種ととらえるべきだろうか。北欧のオスロで死者が蘇る奇怪な現象が頻出する。戒厳令下のような沈鬱さが街を支配し、深いメランコリーに囚われた老人と娘は墓を暴き死臭を漂わせる孫と共棲を図るも隠遁生活は崩壊する。そこには死生観の相違だけでは括れない決定的な隔たりを感じてしまうのだ。

  • リモートワーカー型物書き  キシオカタカシ

    これまで現実社会のあらゆるメタファーを仮託されてきたゾンビ映画……本作の場合は悲劇相次ぐこのご時世に映画界でますます存在感を増した印象があるサブジャンル、“喪の作業(モーニング・ワーク)”もの。典型的作品であれば冒頭あるいは行間でさくっと処理されてしまうようなゾンビパンデミックの“ゾ”の字あたり、序破急における序の序だけを、ベルイマン的格調で長篇にまで拡大したのが新機軸か。まだまだ掘り下げる余地がある、ゾンビ映画の懐の深さを改めて感じさせてくれる。

>もっと見る

ストップモーション

公開: 2025年1月17日
  • 映画監督  清原惟

    偉大なアニメーション作家である母から解き放たれ、自分自身の作品に取り組む主人公。しかし制作はなかなか思うように進まず、彼女は狂気に呑まれていく。ここで思うのが、なぜいつも女性の表現者ばかりが狂気に呑まれていくのだろうか、ということ。これまで映画が内包してきたジェンダーバイアスへの批評性のなさが気になってしまう。本作におけるストップモーション・アニメは、グロテスクさを表現するいちアイテムでしかなく、そこにあまり世界観が感じられなかった点も残念だった。

  • 編集者、映画批評家  高崎俊夫

    どこかヤン・シュヴァンクマイエルのシュールレアルな悪夢的な世界を彷彿させる作風だ。ヒロインがコマ撮りアニメーターというのが異色で、斯界の先達である毒母の抑圧に抗い、解放を希求するも錯乱へと誘われる恐怖譚としてはポランスキーの「反撥」(65)も連想させる。東欧的で陰鬱なフォークロアの世界とオブジェとしての人形が腐臭漂う肉塊と化してゆくプロセスを克明に描写する粘着性へのフェティッシュな感覚が結びつき、露悪的なまでにグロテスクでおぞましい世界が現出している。

  • リモートワーカー型物書き  キシオカタカシ

    「才能の限界」「抑圧的な親子関係の葛藤」「表現と重なるトラウマ」「曖昧になっていく現実と妄想の境界線」……物語構成要素を挙げれば「ブラック・スワン」をはじめとした“芸術に殉じるアーティストを悲劇的に描いたサイコロジカルスリラー”のクリシェばかりで成り立っている本作。下手をすれば魂なき模造品になりかねないが、紋切り型もうまく扱えば勝利の方程式! 静=死に生を吹き込むストップモーションという素材の新鮮さ、そして監督の確かな才気が作品に血肉を通わせている。

>もっと見る

アーサーズ・ウイスキー

公開: 2025年1月17日
  • 映画監督  清原惟

    仲良しな70代女性3人が、若返ってしまうウイスキーを飲んで、若い女子の姿になって冒険をする。コメディとしては面白くできそうなアイデアだが、恋愛が軸で語られていくのにがっかりした。彼女たちのキャラクターが魅力的なだけに、ルッキズムを助長させるような語り方がもったいない。本来の自分自身を愛することや、同性愛などのテーマも後半入ってくるが、目配せと感じてしまう。このテーマでやるのなら、彼女たちが生きてきた人生をもっと力強く肯定するものになってほしかった。

  • 編集者、映画批評家  高崎俊夫

    世代は違ってもデビュー当時から見続けているせいかダイアン・キートンは同時代人だと思っている。近年は加齢に合わせ役柄も完璧な老境に入ったが、こんなジェリー・ルイスの「底抜け大学教授」(63)をヒントにしたような無理スジのユルユルなコメディにもきわめて寛容な気持ちで向き合える。というのも「アニー・ホール」(77)以来のあの得も言われぬ彼女の微苦笑が健在だからだ。しかし邦・洋画を問わず、なぜある宣告をきっかけに皆がスカイダイビングに挑戦するのかは大いなる謎である。

  • リモートワーカー型物書き  キシオカタカシ

    開幕から高らかに鳴り響くデイヴィッド・ニューマンの音楽とクレジットのフォントから脳裏に浮かぶのは、(英国映画ながら)子どものころ観た80年代半ば~90年代前半のハリウッド製ファンタジーコメディ。SNSやスマホが登場するたびに現代劇であることを思い出すが、良くも悪くも微妙に懐かしい味わい。ベビーブーマーを親に持ち70年代映画文化に憧憬を抱いて研究してきた世代としては、本作のダイアン・キートンたちの姿は同じ時間を共有した家族のように映り、ストレートなベタさも沁みた。

>もっと見る

敵(2023)

公開: 2025年1月17日
  • 文筆家  和泉萌香

    食欲も性欲もそれから排泄欲も、結局のところはすべて肉体からとおって出ていくだけといわんばかりのベタっとした闇に染められたモノクロ映像。美味しそうだか不味そうなんだかあいまいな食事(フードコーディネーターは飯島奈美さんとのことだが……)、そして人間のおかしみを体現する長塚京三。クライマックスはやや大味に思えるものの、これはブラックコメディなのだ!と笑う箇所から、気がついても醒めてはくれない連続する蟻地獄の感覚は素晴らしい悪夢だった。

  • フランス文学者  谷昌親

    ここまで日常を、しかも老人の日常を淡々と描いた映画は珍しい。特に料理や食事のシーンが印象的だ。主人公を演じる長塚京三は、いったい何度、自分で料理した食事をおいしそうに口に運んだことだろう。日常を十二分に見せておいたことで、どこまでが現実でどこからが夢や幻想なのか判然としなくなる後半の展開が生きてくる。筒井康隆ならではのカオス的な狂乱を吉田大八監督はみごとに具現化してみせた。それをハイコントラストのモノクロ映像に定着させた撮影や照明もすばらしい。

  • 映画評論家  吉田広明

    引退した仏文学教授の端正な老後生活の描写が淡々と積み重ねられる。時に友人と会話し、教え子と夕食を共にし、バーで酒をたしなむ。何の変哲もない日常だが、そこに時折違和が紛れ込む。生活資金や健康の不安、性欲、迷惑メール。これらの何が「敵」に変貌するのか、その微かな不安の持続こそがこの作品の身上だろう。しかし敵がイメージ化されてしまい、かつ現実と妄想が入り混じって来てからに驚きはない。折り目正しい老紳士の話だからモノクロ、の選択もうさんくさい。

>もっと見る

アプレンティス:ドナルド・トランプの創り方

公開: 2025年1月17日
  • 文筆業  奈々村久生

    ふさふさとした金髪をサイドに流した特徴的なヘアスタイルと、頭を大きく振ってその前髪を飛ばす仕草。それだけで誰もが知っているトランプ次期大統領の姿がありありと眼に浮かぶ。スタンの素顔は決してトランプに似ておらず、モノマネをしているわけでもわけでもないのに、ちょっとした振る舞いの端々に滲む“らしさ”の精度の高さに目を見張る。若きトランプが政財界を駆け上がっていくのに反比例したロイの失速はあまりに象徴的で、後半の展開をもっと丁寧なドラマで見られたらなおよかった。

  • アダルトビデオ監督  二村ヒトシ

    僕は悪いことをすることが悪だとはどうしても思えないのです。でも資本主義はどう考えても悪だし、勝ち負けがあるあらゆる場で勝ち続けようとすることも完全に悪だ。この映画を観て人間トランプに共感することはなくても、自分の中にもトランプがいると思えないリベラル男性はダメなリベラル男性です。観てる最中は面白くてさすがアッバシと感じてたのだが終わってみたら何かがもの足りない。現実のトランプがやってきたことに比べたら情報量が少なすぎたのだろう。4時間くらい観たかった。

  • 映画評論家  真魚八重子

    なぜ制作したのか?という疑問しか湧かない。トランプに対し批判的な映画を撮りたいのは山々だが、裁判沙汰など避けて通れないだろう。そのため本作はトランプが若かりし日に、エイズによって亡くなった弁護士との当たり障りがない話になっている。ゲイだと知りつつ親交があったという理解を示すつもりだろうが、それほど深い関係性はない。正直、トランプを持ち上げた業界人という域を超えるものは見えない。むしろ映画自体はトランプの下卑た人格への嫌悪が滲み出てしまっている。

>もっと見る

トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦

公開: 2025年1月17日
  • 文筆業  奈々村久生

    かつて香港の無法地帯として名を馳せた九龍城砦。イギリス統治下にありながら中国が領有権を保時する複雑なシステムのもとで、違法建築と独自のコミュニティがうごめくカオスは、いわば治安最悪のタワマン社会。劇中に登場するのはそれを再現した巨大セットだが、空間の狭さと縦長の高低差を逆手に取って縦横無尽に動き回るカメラワークは臨場感たっぷり。香港ノワールの人情噺と復讐譚をスタンダードに落とし込んだストーリーとともに裏社会をエンタメとして楽しむテーマパーク性に満ちている。

  • アダルトビデオ監督  二村ヒトシ

    CGもセットもお金はかかってるんだろうけど大味だし、基本設定も脇役たちのあつかいも雑だし、男と男の性的ではない因縁や友情にも、漫画だったら大好きなんだが映画で見せられる格闘アクションやイケメンの殺しあいにも僕は興味がもてなくて、しかしお好きな人なら楽しめるのかもしれないので、そういう人の感想が聞きたい。サモ・ハンの悪役はよかった。途中までコイツぜったい弱っちいだろと踏んでいたある登場人物が神秘的に強く、しかもそれで最後まで引っ張ってたのも漫画的で笑った。

  • 映画評論家  真魚八重子

    香港映画に対してまだ揺れる気持ちがある。黄金期の香港映画全体の力強さ、ハチャメチャさ、顔触れの豪華さといったものが、若干戻りつつあるが、まだ郷愁に囚われてしまって観客として前に進めない。本作のアクションは谷垣健治が手掛け、スピーディーだしドラマティックな要素もあってかっこいい。ただし昔の香港映画の破綻寸前な追い詰め方に対し、矛盾のない小さなトラブルで動いている、今の脆弱なストーリーでは物足りない。アクションを切羽詰まったものにする裏付けが欲しい。

>もっと見る

サンセット・サンライズ

公開: 2025年1月17日
  • ライター、編集  岡本敦史

    コロナ禍を描くうえで、重症患者や死者を頑なに映そうとしない映画界の不気味さは相変わらず感じるが、そこは差し引いても、現代日本のある様相を切り取ったエンタテインメントとして面白かった。郷里への思いがこもった宮藤官九郎の脚本、岸善幸のふざけすぎず堅実な演出がうまくハマった。もはや名優の風格を見せる竹原ピストル、少路勇介と見紛う三宅健(どっちも出演)、健在ぶりが嬉しい白川和子ほか、キャスティングも楽しい。これこそ宮城県の映画館で観たいご当地映画。

  • 映画評論家  北川れい子

    南三陸の風景がいい。人物たちがみなクセがあって面白い。お節介なエピソードも無理がない。出てくる食べ物がおいしそう。そして喪失感や痛みに対しての節度ある距離感。観終わって思わず“ケッ”と呟きそうになったりも。白川和子が演じる地元の老婆が発する言葉で、あげるから持っていけ、ということらしい。そういえば宮藤官九郎脚本の朝ドラ『あまちゃん』のときは“ジェジェジェ”が流行ったが、本作の場合はぜひ観て“ケッ”! 菅田将暉の久しぶりに気張りのない演技も新鮮で、お年玉のような娯楽作。

  • 映画評論家  吉田伊知郎

    震災とコロナを背景に描きつつ、声高な叫びも揶揄もなく、食を介して日常の細部を映し出す。「悪は存在しない」でも描かれた地方と都会の共存が描かれるが、双方の陰湿さをカラッと描く手腕が際立つ。菅田が独りごちながら魚を取って食す場面が多いが、松重豊のようにはいかず空回り気味。竹原ピストルも同様。逆に芸達者組がうまく補助し、受けの芝居が絶品の井上に加えて、攻めの芝居を自在に繰り出す池脇千鶴と三宅健が素晴らしい。予想外の存在感を見せるビートきよしにも驚き。

>もっと見る

室町無頼

公開: 2025年1月17日
  • ライター、編集  岡本敦史

    地獄のような庶民の窮状や、大スケールで描かれる一揆の場面など、現代に直結するメッセージ性をこれでもかと押し出す部分には作り手の本気を感じる。が、室町時代の文化や生活、メンタリティをどう描くかという好奇心や野心はさほど感じられず。また、おそらくジャンル映画的感性がもともと薄いので、クンフー映画やマカロニウエスタン風の味付けも上滑り気味。「侍タイムスリッパー」は時代劇再興には技術とセンスが不可欠であると証明したが、それを痛いほど裏付けてしまった。

  • 映画評論家  北川れい子

    なんとCMや司会などテレビに出ずっぱりの大泉洋が三船敏郎をやっている。いや、そう見える。無骨さや台詞回しは三船より薄味だが、演じている人物やその行動は「七人の侍」「用心棒」「椿三十郞」の三船を連想させ、観ていていささかくすぐったい。そして時代劇初挑戦の入江監督。“一揆”というエキストラの数からして半端ない集団闘争の長丁場は破壊、炎上、大乱闘と映像もかなりパワフル。けれどもそこに至るまでの話があちこちに分散しているせいか、いまいち盛り上がりに欠けもったいない。

  • 映画評論家  吉田伊知郎

    ジャンル映画に次々挑む入江悠の姿勢に毎回瞠目する。今回は、これまでほぼ手つかずの時代背景とあって自由度は高いだけに、京を終末感溢れる無国籍な街に作り変えて欲しかった。才蔵の修行シーンがショウ・ブラザーズのカンフー映画のようになるだけに。魅力的なキャラと設定が溢れるだけに交通整理に追われた感あり。謀略、情報戦など裏になっている設定が、台詞で説明されるだけに終わるところも少なくない。東映時代劇というより往年の角川映画が作る時代劇が甦ったよう。

>もっと見る

エマニュエル(2024)

公開: 2025年1月10日
  • 俳優  小川あん

    なぜ、こういった類の映画は官能映画になりえないのだろう……。残念ながら、本作もラインから外れてしまっている。肝心なセクシャルシーンがゾクゾクしない、冷めてしまう。あまりにも、登場人物の役割がパキッとし過ぎている。ハイキャリアだけれど性を解放できない女性と、自由だけれど性欲が枯渇した男性。交わっても面白くはならない。性はもっと曖昧なものであるはずだ。結果、舞台である香港のラグジュアリーホテルの内情がめちゃくちゃ過ぎてそっちに気をとられた……。

  • 翻訳者、映画批評  篠儀直子

    原作小説が大胆に脚色され、当然1974年版とはだいぶ違った内容に。性の冒険というよりは、資本による管理と操作のせいで見失ってしまった真の自分を取り戻そうとする物語という感じが強い。美しい撮影と美術で描かれる超高級ホテルのあれこれを、「一生縁がなさそうだなあ」と最初のほうこそ珍しく眺めるが、実はこのホテル自体が抑圧の象徴であり、ずっとホテルに閉じこめられていた主人公は、終盤ようやく外に出る。最初のチョイスだったというレア・セドゥが主演していたらどうなっていたのかな。

  • 編集者/東北芸術工科大学教授  菅付雅信

    「エマニエル夫人」を「あのこと」でヴェネチア金獅子賞受賞のオードレイ・ディヴァン監督が新たに映画化。主演は「燃ゆる女の肖像」「TAR/ター」のノエミ・メルランと聞くと期待したいが、結果は裏切られる。舞台を現代の香港の超高級ホテルにして、セリフもほぼ英語とアップデートを図ったが、元の「エマニエル夫人」が持っていた古き良きフランス臭さが薄まり、ただのソフト・ポルノに。女性目線のスタイリッシュな性描写を意図したのだろうが、映画史の性描写を更新する覚悟が足りない。

>もっと見る

Welcome Back

公開: 2025年1月10日
  • 文筆家  和泉萌香

    口が悪くちゃらんぽらんそうな兄ちゃんが主人公で、これから二時間どうなるかと身構えたが、彼らに自覚はなくとも大人たちに見捨てられた、ボクシングしか知らない青年ふたりがそれまでの人生に答え合わせをするべく殴り、殴られるさまにつきまとう寂しさと、強がりで自分をとりつくろう若者がたどる道へのやさしい眼差しに胸をうたれた。中盤より、兄弟のような関係のふたりに巻き込まれ彼らをフォローするはめになる「保護者」遠藤雄弥のたたずまいが穏やかにバランスをとる。

  • フランス文学者  谷昌親

    異色のボクシング映画だ。たしかに、試合やスパーリングのシーンでは、無暗に細かくカット割りせず、ボクシングファイトをしっかり見せている。だがこの映画が描こうとしているのは、同じ団地で兄弟のように育ったテルとベンの関係、そしてテルにひたすら憧れるベンの姿だ。知的障害があると思われるベンの描き方には疑問も湧いてくるが、ベンとテルがボクシング仲間の青山とともに大阪に向かうあたりから、独特のロードムーヴィー的味わいが加わり、映画としての魅力がきらめいてくる。

  • 映画評論家  吉田広明

    知的障害者が兄貴分のボクサーを妄信、兄が負けて引退した後、彼を倒した相手を自分が倒すことに執心。兄のスタイルを完コピした弟は兄にとって鏡像となるわけだが、それが兄の自己反省の契機となるわけでもなし、物語の枠組みを規定する旅の過程で弟が成長したわけでもない。兄弟的関係は並行のままであり、ために最終的にコピーがオリジナルを凌駕する展開も説得力を欠く。この映画に時間は流れない。ラストの卵かけご飯の長い無意味なシークエンスが全体を象徴している。

>もっと見る

シンペイ~歌こそすべて

公開: 2025年1月10日
  • 文筆家  和泉萌香

    島村抱月と松井須磨子の恋愛や、都市伝説的に聞いたことがあった〈シャボン玉〉の誕生秘話をはじめ、その時代を生きたひとりの男が見たさまざまな濃密なエピソードが悲しくもテレビドラマのごとくダイジェスト版で語られていくのだが、まず主人公である中山晋平の人生もナレーションに任せっぱなし、どの人物への肉薄がないのも寂しく、あっけなく出る「戦後」のテロップにもずっこけた。どのシーン、時代が移ろっても無邪気に歌をうたう子どもたちは可愛いのだが……。

  • フランス文学者  谷昌親

    信州から上京するシーンで始まるとはいえ、フラッシュバックで幼年時代も盛り込んだうえで、数々の名曲を生み出してきた中山晋平の65年の生涯を描き切ってしまっているのは、神山征二郎監督だからこその力技で、効率的に物語を進めるこうした手腕が日本映画の土台を築いてきたのだと思わせる。だがその一方で、やはり詰め込みすぎの感は否めず、次から次へと連なるエピソードが中山晋平の一生という枠のなかにほどよく収まるばかりで、映画的な濃密な時空間を構成してはくれない。

  • 映画評論家  吉田広明

    伝記映画であるから既知の事柄が描かれてゆくのは当然のこととしても、映画として本作は一切既知を超えてくるところがない。本作の主人公は作曲家、しかも歌謡の作曲家であるからには、彼がいかに歌に、声に魅せられたのか、いかに自らの歌を、声を発見していったのかが画面として、音響として創造されねばならないのだが、それがないために結局事実の羅列にしかなっていない。作り手の主人公への思いなどどうでもよい我々としては、映画であるかどうかだけが基準である。

>もっと見る

劇映画 孤独のグルメ

公開: 2025年1月10日
  • ライター、編集  岡本敦史

    ドラマシリーズを10年以上やり続けてきた主演俳優だからこそ実現できる、作品のバランスを知り尽くした演出に打たれた。結果的に、破格の準備期間を与えられた初長篇だと考えれば、なんと贅沢な一皿であることか。「こういうのでいいんだよ」という原作の有名なフレーズは、作品の基本精神でもある。怠惰な手抜きではなく「足るを知る」という心を、映画も見事に体現している。冒頭から塩見三省に花を持たせ、海を越えてユ・ジェミョンの好演を引き出す、役者同士の絆にも痺れた。

  • 映画評論家  北川れい子

    おや松重豊、この劇場版では監督・主演・脚本(田口佳宏と共同)まで兼任、さしずめ北野武ばり。彼が長きにわたって主人公を演じてきた勝手知ったるシリーズドラマということもあるのだろうが、なかなかの度胸である。しかもワケありスープの食材を探して、日本国内だけでなくフランス、韓国まで駆けずり回り、とんでもないアクシデントも。けれども松重豊の、そして主人公のキャラのせいか、程良いユーモアと洒落っけがあり、素直に楽しめる。各地の一品との出会いも気張らず、おいしそう。

  • 映画評論家  吉田伊知郎

    食レポには、綺麗かつおいしそうに食べる技術が求められるように、食の映画も繊細な描写が求められる。TVシリーズは未見だったが、食べ物を前にしたときの松重の卑しくならない演技が絶品で、人気に納得。塩見三省、村田雄浩への愛情溢れる撮り方も良く、あくまで食を軸にしたドラマから逸脱しすぎないバランスも絶妙。食材探しの旅とラーメン屋を復興させる話を俳優が監督した本作、つい伊丹十三(『遠くへ行きたい』の親子丼珍道中の回+「タンポポ」)と比較してしまう。

>もっと見る

ブラックバード、ブラックベリー、私は私。

公開: 2025年1月3日
  • 文筆業  奈々村久生

    天涯孤独のシングル女性エテロを演じたエカ・チャヴレイシュヴィリの存在感が見事。物理的・視覚的にも確かな質量を持つその身体性が、安易な同情や誹謗中傷を撥ねつけ、彼女が生きているという現実を何よりも証明する。他人に媚びることも愛想を振り撒くこともなく、自分の小さな居場所を守りながら生きてきたエテロのインディペンデンスと、悪口を言い合いながらも世代や立場を超えて緩やかに連帯する女性同士の関係の妙。村の閉鎖性が持つネガティブな側面が思いもよらぬ可能性を生んでいる。

  • アダルトビデオ監督  二村ヒトシ

    クソババアたちのコミュニティの近くにはいるけれど同調圧には屈せず、クソ男のルッキズムにも屈せず、一人で野生のベリーを摘み、一人で喫茶店で高カロリーのでかいスイーツをむしゃむしゃ平らげ、時に自らの近未来の死や家族から受けたトラウマを幻視する、鳥のような顔の高年齢処女。初めてのセックスも恋愛も彼女を楽しませはするが、快適な孤独を揺るがすことはない、ていうか孤独に自適してる者にしか本当の意味でのセックスや恋愛を楽しむことはできない、はずだったのだが……。

  • 映画評論家  真魚八重子

    即物的なたるんだ腹の肉、リアリスティックな陰毛、まごうことなき50絡みの女の全裸が写し出される。同じ年頃の男も尻の肉が落ちてすぼみ、お互いに性欲をかきたてる裸ではないから、逆に相性の良い肉体の出会いなのだと思う。物語は独りで楽しみ、孤独もいとわない女にとっての、女友だちとの関係の難しさがメインだが、正直重要でもないだろう。それよりいまだに女が男に詩心を求めていたりする甘さが、正直で微笑ましかった。思いがけない初恋の形が夢見がちな可愛いドラマだ。

>もっと見る

苦悩のリスト

公開: 2024年12月28日
  • 文筆業  奈々村久生

    米軍完全撤退の期限が迫る中でカブール空港に押し寄せた人々。中には飛行機に乗り切れず機体から振り落とされる者もいた。当時数えきれないほど目にした動画。彼らの救出に遠隔で尽力したマフマルバフ監督らの心痛が、瞬時に的確な人選を決めなければならない冷静さの中で浮き彫りになる。ただし、救出リストの候補に入れる人はやはりある種の特権階級といえる。タリバン復権下で生命や人権を脅かされているのは芸術家だけではないし、芸術家至上主義のような結びにはやや疑問が残る。

  • アダルトビデオ監督  二村ヒトシ

    こうしている今も、どんどん人が無惨に殺されている現実。苦悩してるだけで何もできてないわけではない。人の命を助けることの役にたててはいる。かろうじて「絶望の」リストではない。だが助けることが間に合わなくて拷問をうけて生きたまま目をえぐられた人もいた。現地まで行くことはできない。家にいて、自分の平和な日常のなかでパソコンとスマホで助けるしかない。映画が終わっても「信仰」も虐殺も戦争も終わってない。分断の末、明日には我々が殺して殺されることになるだろう。

  • 映画評論家  真魚八重子

    人命を一人でも多く救うための活動が、どれだけ素晴らしく必死なものかはわかる。だからといって、室内でひたすら電話をかける様子だけを捉えた映像を、救済のためだからといって高く評価するわけにはいかない。映画的にはなんの面白みもないからだ。「人を救う作品に低評価を与えるのか」と言われたら困る。明らかにそこには線引きが必要であり、これは映画と分類するかすら難しい。助かる人選がたまたま電話のそばにいることで決定する、残酷な運命の記録映像とは呼べるだろう。

>もっと見る

占領都市

公開: 2024年12月27日
  • 映画監督  清原惟

    コロナ禍のアムステルダムと、第二次世界大戦中ドイツに占領されたアムステルダム、二つの時代の街を重ね合わせたドキュメント。外出制限がかかり、店が閉まって閑散としていたり、集会に集まった人たちが警察に止められている様子は、戦時中の街の緊張感とわかりやすく重なっていく。ドイツ政府に殺されていったユダヤ人たちの暮らした場所、逃げ隠れた場所。子どもが運河でスケートをする楽園のようなアムステルダム中に、今でもその場所はあるのだということを焼き付けられる。

  • 編集者、映画批評家  高崎俊夫

    アムステルダムにはフェルメールの《デルフトの眺望》を思わせる歴史的建造物がいまだに点在しているのに驚かされる。映画はその風光明媚な〈場所〉のディテールを切り取りながら、占領下にそこで起きたナチス・ドイツのおぞましいユダヤ人虐殺の克明な記録が延々とナレーションで被さる。S・マックイーンは平穏な日常のスケッチという〈画〉と抑揚を欠いた淡々とした〈語り〉という乖離を意図的な方法として選び取り、〈記憶と現在〉の抜き差しならない関係をめぐって瞑想に耽っている。

  • リモートワーカー型物書き  キシオカタカシ

    “現代と過去”=“映像と言葉”を対置させるコンセプト、さらに圧倒的長尺から(敷居の高さを感じさせるという意味での)現代アート寄りの作品なのでは……と勝手に身構えていたのだが、実際は驚くほどに親密なアムステルダムという街のポートレート。個人的には教科書的知識とポール・ヴァーホーヴェンやディック・マースらの映画的記憶だけでフィクショナルに捉えてしまっていたオランダという国の歴史と現実に接続して同一化するにあたり、長大な上映時間にも確かな意味があった。

>もっと見る

夏が来て、冬が往く

公開: 2024年12月27日
  • 俳優  小川あん

    ドラマ的演出でプロットもありきたり。主人公の女性は恋人からのプロポーズに躊躇う。生き別れになっていた実父の死。隠されていた姉弟。人物描写が表面的で、展開が引き延ばされすぎていて、苦しい。自国の社会のひずみにスポットを当てるならば、これだけの重要なテーマを綺麗に収めてはいけないと思う。フレームに動きを加えるためだけにカメラがズームされている箇所が多くあったのも残念。完璧にすることを意識せず、作家性を探すところからトライしてみたほうが良かったのでは。

  • 翻訳者、映画批評  篠儀直子

    演技のつけ方も話の運び方も、ところどころのカットつなぎも、もっさりした感じがしてどうにもなじめず、ついには作品のメインの主張を登場人物がそのまま口に出してしまうのでいよいよ頭を抱えてしまったのだが、風光明媚な地方都市をとらえた超ロングショットと、この土地特有の風習や儀式の描写が、作品の大きな魅力であるのは間違いない。また、これほど女子が歓迎されない社会にあって、女の子をふたりも引き取った主人公の養父はどんな人だったのか、それを思うと心を揺さぶられるものがある。

  • 編集者/東北芸術工科大学教授  菅付雅信

    風光明媚な中国の海辺の街を舞台に、養子に出された女性が生家の家族と過ごす数日間のドラマ。大都市に生きる主人公と地方都市の対比、世代の対比などを織り込みながら、現在の中国的家族像を描く。話に大きなドラマ性があるわけではないので、映像力やモダンなセンスなどが問われる内容なのだが、デジタルカメラによるのっぺりとした映像と工夫のない展開で、あえて劇映画にする意図が見えず。撮影は中国で、仕上げ作業は日本でという中日共同作品だが、共同作業の利点が反映されていない。

>もっと見る

私にふさわしいホテル

公開: 2024年12月27日
  • 文筆家  和泉萌香

    彼女はいったいどんな物語を書いているのか、よく分からない。不遇のきっかけを作った作家を大恨み、手を変え品を変え名前を変え、ツッコミどころ満載で大攻撃するのはいいが、売れることを最大の目的としたヒロイン像が魅力的かといわれれば疑問。あこがれのホテルもただの権威の象徴に思えてくるし、ヒロインなりの下剋上を果たしたとはいえ、彼女もそのシステムの一員になっただけでは? 橋本愛、髙石あかりはじめ各所で登場する女優陣があざとい荒唐無稽さをチャーミングに和らげる。

  • フランス文学者  谷昌親

    のんと滝藤賢一の二人だからこそ成り立つ掛け合いがふんだんに見られる映画だ。とりわけのんは、自分の小説が売れるためには汚い手段にも平気で訴えるという性悪な人物を、大げさすぎると見えてしまうほどのハイテンションで演じ、コメディとして成り立たせているのは立派だし、それは堤監督の演出のたまものでもあろう。だが、主筋に付随する細かなエピソードの扱い方が雑だし、タイトルにもなっているホテルの空間が映画的に活かされておらず、めりはりのない作品になってしまった。

  • 映画評論家  吉田広明

    芥川賞を取らせてくれと佐藤春夫に哀訴した太宰を思い出したが、そのみっともなさを含めて太宰はまっとうに文学=生を生きたと言え、そこにはイメージとしての文学などなかった。文学者たちに愛されたというホテルがまとわせるオーラのようなものは確かにあるとしても、それに寄りかかることで出来たものがまともな「表現」であるはずはないだろう。こういう使われ方では使われた方も気の毒だと思う。のんの文学臭を免れたパンキッシュな存在感が唯一の救いではある。

>もっと見る

私の想う国

公開: 2024年12月20日
  • 映画監督  清原惟

    パトリシオ・グスマン監督の新作は、チリで2019年に起きた社会運動を捉えている。特定のイデオロギーを持たない民衆によって、組織化されない改革運動が広まったことにまず衝撃を受ける。女性たちが主体となっていた活動も力強く、それを情熱的な視点で捉えるカメラも素晴らしかった。タイトルにも込められている、作り手の祖国への想いが映像にも乗り移っている。「チリの闘い」の時代を重ねながらも、現代の人々にかつて成し遂げられなかったことを託すような、祈りが込められた映画。

  • 編集者、映画批評家  高崎俊夫

    50年前の「チリの闘い」以来、パトリシオ・グスマンはチリの現代史を記録する唯一無二のドキュメンタリストだ。本作は2019年、首都サンティアゴで地下鉄料金の値上げ反対の暴動が燎原の火となり、150万人もの民衆が軍隊、警察と市街戦を繰り広げるさまを描く。映画で常に可能性の中心にいるのは、家父長制を否定する4人の詩人ほか数多くの女性たちだ。監督はその痛切な声に深い共感と希望を見出している。〈革命〉というワードが現在進行形で生々しいリアリティを帯びているのも特筆されよう。

  • リモートワーカー型物書き  キシオカタカシ

    女性中心の社会運動でチリに決定的な変化が訪れた瞬間を捉えた、希望とオプティミズムに満ちた力強くも美しいドキュメンタリー……なのだが、この作品を観ながらどうしても脳裏をよぎるのは“その後”の現実である。2022年に製作された本作が示したような価値観への反発・バックラッシュが、チリのみならず世界的な趨勢となっている事実を無視できない2024年――。パトリシオ・グスマン監督が想像した希望が単なる“記録”に終わるか終わらないかの瀬戸際であることを強く意識させられる。

>もっと見る

キノ・ライカ 小さな町の映画館

公開: 2024年12月14日
  • 俳優  小川あん

    フィンランドの巨匠、アキ・カウリスマキが自ら地元のカルッキラの工場の跡地を改装し、夢のような映画館を設立するまでの記録。次第に形になるにつれて、地域の文化・芸術に対する意識も同時に再構築されていく様子が描かれる。まるで映画制作そのもののように、プロジェクト自体が地元の人にとっての大きな物語になる。まるで、映画の登場人物のようにユニークな人々は自分たちがただの観客でなく、新たな文化の誕生に関わる当事者であると気づく。本作を観て、改めて映画館を失ってはいけないと強く思い直した。

  • 翻訳者、映画批評  篠儀直子

    地方に移り住んだ映画監督が住民と活動を始めることで、その地の映画文化が豊かになる例は各国にあるけれど、本作で描かれているのもそのひとつだろうか。とはいえここには、カウリスマキを受け入れる文化的土壌があらかじめあったようにも見える。さびれて停滞した田舎町を想像してはいけない。若い女性や子どもの姿も多く見られ、新しいものが生まれそうな空気が充満している。それにしても、誰も彼もが「アキ」の名を、なんと楽しそうに口にすることか。カウリスマキ自身の変わらぬ仏頂面も最高。

  • 編集者/東北芸術工科大学教授  菅付雅信

    カウリスマキがフィンランドの地元に作った映画館を巡るドキュメンタリー。彼自身も工事に取り組む様子やカウリスマキ組の俳優たち、ジム・ジャームッシュなども登場し、各々がカウリスマキさらには映画への思いを語る。本作はカウリスマキ監督作ではないが、独特のオフビートなムードは共通。さまざまな言語が飛び交い、日本語による古びたムード歌謡な曲が流れ、地球の辺境で資本主義から降りた人々の映画を巡る交流を慈しむように描く。スペクタクルとは対極の、オフであることの豊かさに魅了される。

>もっと見る

不思議の国のシドニ

公開: 2024年12月13日
  • 文筆業  奈々村久生

    敢えて不自然さを残した合成や静止画を使った描写など、デジタル以前の実験映画を思わせる表現は稚拙さや自己陶酔と紙一重だが、それを成立させたユペールの存在とジラール監督の絶妙なセンスが光る。日本の関西地方の街並みをとらえたレトロフューチャーな味わいも虚と実のあわいを生きるシドニの心象風景に似合っている。ユペールは同世代の俳優と比べても現役でラブの要素を含む作品への出演が多く、実年齢に沿って現在進行形の恋愛や性愛を演じられる稀有なキャリアと独自性が際立っている。

  • アダルトビデオ監督  二村ヒトシ

    逆張りっぽいことを言うけど、この映画の美点は日本人から見て変な部分を直してないところだ。恋愛とは「相手からは変に見えてる自分」を受け入れることだからだ。ただ、せっかくだから食事を(日本人の日常食を)もっと見せてほしかった。幽霊はセックスより食事に嫉妬するだろう。あとバーのシーンで酔った伊原剛志が「あなたたちが創作したキリスト教的な一夫一婦制度や恋愛のありかたは、けっきょく我々には無理です」と言い出すかと期待したが、さすがにそういう映画ではなかった。

  • 映画評論家  真魚八重子

    日本が生者と死者が共存しているようなのは、確かに海外からはそう見えるかもしれない。死者を招き入れるお盆の風習があり、それでお祭り騒ぎもしない。広島や神戸や福島の地名が登場するように、未曾有の災厄もありながら続いている土地。そういう直感的な雰囲気にあふれた映画だ。イザベル・ユペールがお洒落な装いで、京都をさまよっているだけで絵になるから、十分楽しく観られてしまう。家族を失う孤独、アバンチュールの癒やしもありつつ、ユペール映画というジャンルの一作。

>もっと見る

太陽と桃の歌

公開: 2024年12月13日
  • 映画監督  清原惟

    劇映画だとわかっていながらも、どうしても桃農園を営む一家の生活に密着したドキュメンタリーのように思えてきてしまう。監督の実家が代々農園を営んでいること、職業俳優ではなく、実際にその地域に住む人々が出演していることを知り、深い納得があった。一つひとつの場面は、物語を展開させるために存在しているのではなく、ただそこにある時間の輝きがある。おじいさんがピンク色のかわいいシャツを着ているのも自然に受け入れられるくらい、演出を感じさせない演出が巧みだった。

  • 編集者、映画批評家  高崎俊夫

    カタルーニャ地方にある小さな村で代々桃農園を営むソレ家に容赦なく襲いかかる近代化の波。地主が突然、土地を明けわたすように宣告し、桃の木を伐採してソーラーパネルを設置するというのだ。しかし映画はその波紋の広がりを社会派的な視点で激しく糾弾するわけではない。カルラ・シモン監督の自伝でもある本作の魅力は現地の素人を起用し、ドキュメンタリー的な肌合いを感じさせることだろう。彼女はゆるやかに崩壊してゆく家族を深い愛惜とノスタルジアを込めて葬送しているのだ。

  • リモートワーカー型物書き  キシオカタカシ

    長年の地方在住かつ「サマーウォーズ」を観て「『儀式』こそが大家族のリアル」と奥歯を?み締めたタイプの人間として身構えて鑑賞。しかし誰もが身に覚えがあるような生々しい“親戚間の揉め事”すら瑞々しくリアリズムで描いた本作は、勝手な先入観に反してするりと飲み下せてしまった。ままならぬ現実とノスタルジー混じりの希望を包括したラストシーンが象徴する甘美で痛切な気分と空気は、斜陽の時代を生きていると感じる多くの人が当事者として意識できるものではないだろうか。

>もっと見る

ソウル・オブ・ア・ビースト

公開: 2024年12月13日
  • 俳優  小川あん

    エキセントリックすぎて、頭と心が追いつかなかった。幻想的なムードが高まって、少しやりすぎ感が出てしまってたころに (1時間過ぎたくらい) 、恋に落ちた二人がそのエモーショナルを自覚し始めてからは、急に面白くなってきた。日本語のナレーションとあらゆる類の音楽が相まってドラマチックさを主人公に突きつける。「お前はバカだ。」この映画は近づき過ぎず、俯瞰してみるのが自分にとって正解のようだ。動物の描写を解明はできなかったが、確かに心に獣の爪痕を残した作品だった。

  • 翻訳者、映画批評  篠儀直子

    動物園から動物が放たれると同時に、登場人物のなかの野生が目覚め、獰猛さは街全体へと感染していく。そのさまを描く本作は、こんな放埓な映画を撮ってみたいと多くの者が夢見てきたに違いない作品だが、それを成就できる人間はほとんどいないし、ましてや、こんなにやりたい放題やっておきながら作品として成立させられるのは、かなりの才能のなせる業だろう。作品評価とは関係ないが、ドイツ語とフランス語、英語(そして日本語)のあいだを自在に行き来する言語空間も、分析したくなる興味深さ。

  • 編集者/東北芸術工科大学教授  菅付雅信

    スイスのチューリッヒを舞台にした三角関係を描いた青春映画。17歳の子持ちの少年が破天荒な男とその魅力的な恋人と知り合い、彼女に情熱的に恋をする。刹那な三人と暴動状態の街、動物園から逃げ出す野生動物たちと映画は常に一触即発なスリルを持って、若者たちの「俺たちに明日はない」状態を躍動的に描く。三人の男女がとにかく魅力的でゴダール初期作のよう。カメラと編集は極めてモダンで美学的。ただし日本文化を愛する監督が意図的に付けた日本語の格言めいたナレーションはいらないかと。

>もっと見る

お坊さまと鉄砲

公開: 2024年12月13日
  • 文筆業  奈々村久生

    牧歌的な風景に、生年月日を「無意味なこと」として知らずに生きてきた人々。近代化の裾がようやく訪れた村のさざ波を描くにしては、驚くほど緻密に計算された画面構成とストーリーテリング。アメリカの銃社会や資本主義経済の理屈がまったく別の価値観に取り込まれていく作劇も見事。単純な二元論で語れる問題ではないところを映画的なダイナミズムで乗り切り、クライマックスではラマ教の法要の儀式という花火を打ち上げる。口当たりのいい佳作の枠に収まらない上質のエンタテインメントだ。

  • アダルトビデオ監督  二村ヒトシ

    アメリカ人や日本人、政治で分断が深まってるあらゆる国の国民もれなく全員が観るべき映画。高校の授業で全生徒に観せるべきとも思ったが、観せただけではダメで、観たあと少人数グループに分かれて感想を(議論にはならないよう)語りあうまでが大切。映画にでてきた勃起した男性器も非常に大切、濡れた女性器も同じくらい大切、というのが僕の感想。映画としての欠点は一点だけで、BGM入れすぎ。ラジオやテレビから流れてくる曲とクラブでかかってる曲、あとは祭礼の音楽だけで充分だった。

  • 映画評論家  真魚八重子

    浅学で知らなかったのだが、ブータンは王朝制が独裁政治になることなく、比較的政策がうまくいっている中で、国王みずから立憲民主制に移行したらしい。鑑賞後に知って、それでこのような内容の映画なのかと理解した。王朝制で国民が不自由を感じていないのに、民主化が図られたため選挙制度に対しキョトンとしていたわけだ。他の国は人民が選挙制を勝ち取ろうと多くの血が流されてきたというのに、さすが人民の幸福度の高い国なだけはある。007が世界共通語なのは微笑ましい。

>もっと見る

ペパーミントソーダ

公開: 2024年12月13日
  • 映画監督  清原惟

    1960年代のフランスを、10代の姉妹の日々を通してスケッチしたような映画。女子は政治活動をするな、恋愛はするな、といった厳しい規範の中で閉塞感や生きづらさを感じる生活を、紋切り型にはまらず描く手つきがよかった。時に性的な視線にさらされる彼女たちの身体を欲望の対象として直接写さずに、性的な欲望だけを可視化しているのにも好感を持つ。写真のアルバムをめくるように、大人になった彼女たちが思い出しているような視点で描かれており、優しさと懐かしさに包まれている。

  • 編集者、映画批評家  高崎俊夫

    急進的なフェミニストと称されたディアーヌ・キュリスの初々しい長篇デビュー作だ。時代は1963年。両親の離婚で母親とパリで暮らすことになった二人の姉妹がリセに通いながら体験する刺激的な日々が活写される。ベタつかない、クールな距離感を保つ描写の積み重ねによって、彼女たちの抱える思春期特有の感情の揺らめきが画面から滲み出す。瞠目すべき才能と言ってよい。教師の理不尽な振る舞いに女生徒たちが一斉蜂起する場面など「新学期・操行ゼロ」を想起させる素晴らしさだ。

  • リモートワーカー型物書き  キシオカタカシ

    英語で言う“スライス・オブ・ライフ”と日本オタクカルチャーで言う”日常系”のラインが曖昧になっていることを感じる昨今。“徒然なる短いエピソードで毎回オチをつけつつ、ささやかだが決定的な変化を大きな物語として描く”『あずまんが大王』『ひだまりスケッチ』『けいおん!』といった漫画に90年代末から触れてきた者として、そんなストーリー4コマ的話法の極北が47年前のフランスにあったとは……と感嘆。男性オタクに対する忖度がないので、完全なる上位互換かもしれない。

>もっと見る

はたらく細胞

公開: 2024年12月13日
  • ライター、編集  岡本敦史

    前半のコスプレ学芸会的ノリはしんどいが、後半で思いがけずハードな戦争映画然としてきてからは俄然良くなった。「ミクロはマクロに相通じる」という実感は年々強まるばかりなので、人体に起きる致命的な内乱や悲壮な抵抗運動は、地上の戦禍、あるいは壮大な循環システムをもつ地球史にも重なって見えてくる。だから、この星も自分のカラダもどっちもいたわろうぜ、と訴える教訓的娯楽作として楽しんだ。終盤の終末ヴィジョンのクオリティに、ツインズジャパン作品らしさも感じたり。

  • 映画評論家  北川れい子

    「翔んで埼玉」の武内監督によるさしずめ“翔んで細胞”“翔んで悪玉菌大騒動”! ただ人気コミックだという原作を知らずに観たこちらとしては、CGを駆使したカラフルな体内空間を飛び跳ね、走り回るコスプレ調擬人化キャラのケタタマシサにひたすら脱力。この辺り「翔んで埼玉」と共通する。それでも武内監督は健康な体内を平和国家?に見立て、そこに入り込んできた悪玉菌が国家転覆を企てる危ない存在風に演出して話は進めているが、紅白コンビより悪玉菌たちの方が痛快なのはどうよ。

  • 映画評論家  吉田伊知郎

    原作未読ながらアニメは見ていたので、よくぞここまで実写化できたと感心する。永野芽郁、仲里依紗、加藤諒という〈わかってるキャスティング〉が世界観を引っ張り、佐藤健も真剣に白血球になりきるので白けない。それゆえ新たに加えられた人間ドラマ部分は、極力ドラマが削ぎ落とされているものの壮大な体内世界のみを描くのは予算的にも厳しいための苦肉の策に見えてしまう。父が外で採血した血がたまたま娘に輸血されるのではなく、移植手術によって細胞移動を描いてほしかった。

>もっと見る

映画「ふしぎ駄菓子屋 銭天堂」

公開: 2024年12月13日
  • ライター、編集  岡本敦史

    普通の芝居や日常的なシーンでは、記録ミスかと思うレベルでぎこちなさや間の悪さを感じさせるのは何故なのか。それに反して怪異や非日常を描くときの演出は淀みなく手慣れたもので、そこまで極端な作風だっけ?と思ってしまった。故に異界の住人に扮する天海祐希、上白石萌音は当然のごとく輝いており、一見冴えないヒロイン役の伊原六花は狂乱シーンで俄然光る。そんななか善良な凡人をひたむきに演じて好印象を残す大橋和也は、日本のコン・オニール目指して頑張ってほしい。

  • 映画評論家  北川れい子

    中田監督による児童向けホラー? ファンタジーといえばそれまでだが、キャラも仕掛けも話も大人が観るには、ツラ過ぎる。原作はすでにアニメ化もされているそうだか、その駄菓子屋に行くと自分の願いが叶う菓子類が手に入るというゆるい安易さは、幼児ならともかく、尻がムズムズ。駄菓子屋の店主が「千と千尋の神隠し」の湯婆婆の孫娘ふうなのも、いまさら感が。子ども向けでも大人も一緒に楽しめる映画は少なくないが、本作は思いっきり大人は置いてきぼりで、天海祐希、お疲れさま。

  • 映画評論家  吉田伊知郎

    息子と幼児番組を見るようになって一番ハマったのがアニメの「銭天堂」。人間の弱みや悪意が巧みに描かれているだけに、この監督と脚本家が実写化するならトラウマ・ジュヴナイルを期待したくなる。だが、オムニバスではなく、新人教師と関係ある人物のみで描かれるだけに、突き放したオチにも出来ず微温的になってしまう。映画なのだからクライマックスは銭天堂大爆破ぐらい見せてほしかったが。松坂慶子と見紛う天海祐希の紅子は、ここまでするなら松坂慶子で良かったのでは?

>もっと見る

どうすればよかったか?

公開: 2024年12月7日
  • 文筆家  和泉萌香

    家族もれっきとした他者である、という事実を頭で理解しつつも、心に定めていることができる人はどのくらいいるだろうか。統合失調症を疑われた娘を医者から遠ざけ、状況は悪化、扉には南京錠がかけられた、と文章にしてみると凄まじく強烈で、いや、ご家族の長く壮絶な日々が映されているのだが、あの花火を並んで見る一瞬間にただただ涙が出てしまった。病への理解、人と分かりあうことの困難のみならず、老い、そして死の意味をも問い、カメラという他者が冷静かつ優しく捉える。

  • フランス文学者  谷昌親

    たまの家族旅行などを除くと、カメラは藤野知明監督の実家から出ることはない。それでも私たちがこの映画に単調さを感じないのは、もちろん、家族の一員が統合失調症を患い、それでもその両親が治療や入院を拒みつづけたという特殊な状況があるからだが、それ以上に、20年にもわたって撮影が続けられたためだ。同じ室内で、進展のない会話が試みられる様が反復される。だが取るに足らぬように見えるその映像の連続こそが時の歩みを残酷なまでに刻印し、ついには鎮魂歌となるのである。

  • 映画評論家  吉田広明

    統合失調症を発症した姉を、両親が自宅にほぼ軟禁状態にする。両親が医学の研究者であったことがかえって事態を複雑にしたということはあるだろうが、この対応がまずかったことは医者に見せた後の経過を見れば明白である以上、「どうすればよかったか」という問いの答えは予め出ているのではないか(自分ならそう出来たかは措き)。従ってここには、どうしようもない現実を我々に突きつけ、どうすればよかったのかと我々を問い詰めるだけの衝迫が欠けているように思える。

>もっと見る

スケジュールSCHEDULE

映画公開スケジュール

2025年1月24日 公開予定

悪鬼のウイルス

二宮敦人の同名小説を、HKT48の元メンバーの村重杏奈を主演に迎え、「オカムロさん」の松野友喜人監督が映画化したイニシエーション・ホラー。都市伝説調査の動画撮影のために神隠しの噂がある村を訪れた4人の若者が消息不明になる。村の入り口で発見されたビデオカメラには、忌まわしき映像が記録されていた。新月の夜は家の外に出てはいけないという独自のコミュニティに足を踏み入れる若者たちを村重杏奈、「冗談じゃないよ」の太田将熙、ダンス&ボーカルグループWATWING(ワトウィン)の桑山隆太、「シティハンター」(2024)の華村あすかが、旧石尾村に住む高校生・マイを「オカムロさん」の吉田伶香が演じる。

アンダーニンジャ

現代社会に潜む新たな忍者像を描いた花沢健吾による同名漫画を、「ブラックナイトパレード」の福田雄一監督が映画化したアクション。忍者組織NIN(ニン)に所属する末端忍者(下忍)の雲隠九郎は、暇を持て余していたある日、重大な忍務を言い渡される。主人公・雲隠九郎を「ゴールデンカムイ」シリーズの山崎賢人が、忍者たちの戦いに巻き込まれる女子高生・野口彩花を「ゴジラ-1.0」の浜辺美波が演じるほか、「変な家」の間宮祥太朗、「嘘喰い」の白石麻衣らが出演。

飯沼一家に謝罪します

テレビ東京のフェイクドキュメンタリー特別番組『TXQ FICTION』シリーズ第2弾。2024年12月末の深夜に四夜連続で放映された『飯沼一家に謝罪します』を再編集して劇場上映。かつて2004年に放映された謎の深夜番組『飯沼一家に謝罪します』の真相を追う。演出は、話題の展覧会「行方不明展」を手掛けたテレビ東京のプロデューサー・大森時生、YouTubeのホラー番組「フェイクドキュメンタリーQ」の寺内康太郎、映画「ミッシング・チャイルド・ビデオテープ」の近藤亮太。そのほか、TXQ FICTION第1弾『イシナガキクエを探しています』の制作スタッフが参加。

TV放映スケジュール(映画)

2025年1月23日放送
13:00〜15:00 NHK BSプレミアム

ディファイアンス

13:40〜15:40 テレビ東京

ポンペイ

2025年1月24日放送
13:00〜15:00 NHK BSプレミアム

地平線から来た男

13:40〜15:40 テレビ東京

暗殺者

2025年1月25日放送
21:00〜22:54 BS-TBS

グレムリン