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専門家レビューREVIEW

石門

公開: 2025年2月28日
  • 文筆家  和泉萌香

    (文字で書くのも悍ましいが)生殖ビジネスという世界的な問題を中心におきながらも、距離を保って見つめることで浮き上がってくるのはまだ自分自身も定まらない若い女性の個人的な肖像画だ。淡々としたカメラに「ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地」(75)を想起。職場や街中での視線、家、無責任な恋人、女の体であり、そしてどこまでも客体化されるということ、終わらない「生きづらさ」を長い時間をかけ窮屈に体感させる。

  • フランス文学者  谷昌親

    思いがけず妊娠してしまった女性の姿を、妊娠期間に相当する10カ月かけて撮影した作品だ。しかも、ヒロイン役のヤオ・ホングイは、前の2作でも同じリンという人物を演じているという。トリュフォーのドワネル・シリーズがそうだったように、ヤオ・ホングイが生きてきた時間そのものの記録ともなっているわけだ。被写体との間に距離を置き、フィックスのワンショットでの撮影をとおして、人物のみならず、人物を取り巻く環境も押し流していく時間が、いやおうなく刻印されていく。

  • 映画評論家  吉田広明

    生まれてくる子を本当に引き取る気があるようにまったく見えない相手を信用していいのか終始疑問が去らないし、淡々と描くことで主人公の状況を体感させようとの意図だろうが、長い割には画に力がないショットのせいもあって、彼らを信じて生むまでの十カ月、宙づりの時間の不安が伝わらない。詮無い比較だが、ダルデンヌ兄弟なら半分の時間でもっと刺さる映画を作っていただろう。中国の子ども事情は知らないが、中国社会を象徴的に示す普遍性にまで達しているようにも思えない。

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TATAMI

公開: 2025年2月28日
  • 映画監督  清原惟

    イラン政府から受けた脅しに立ち向かう柔道の選手とコーチの物語。初めは脅しに屈して政府の言いなりだったコーチの葛藤が、「聖なるイチジクの種」の母と重なり印象深い。しかし、この作品にはパレスチナ人に対して深刻な人権侵害・虐殺を行っているイスラエルの資本が入っており、イラン・イスラム政府を徹底して批判的に描くことで(イラン政府の人権侵害はもちろん深刻だが)、直接ではないがイスラエルの行いを正当化するようにも見えてしまい、観ていてしんどいものがあった。

  • 編集者、映画批評家  高崎俊夫

    女子柔道世界選手権を舞台に、その裏面でうごめく国家間の熾烈な闘いを炙り出す作劇がユニークである。イスラエル選手との対戦を回避するため、イラン政府は選手と監督に対して棄権を強要するのだが、あらゆる卑劣な手段が講じられ、そのおぞましさには?然となる。試合中に満身創痍となったイラン選手の顔面から滴り落ちる血をとらえたカットが鮮烈だ。畳という聖なる磁場がふいに深い象徴性を帯びるのである。この問題作がイスラエルとイラン出身の共同監督であるのが救いではある。

  • リモートワーカー型物書き  キシオカタカシ

    祖国が抱える問題を亡命者が告発した、当事者からの必死の叫び――。ちょうど「聖なるイチジクの種」と重なる主題を持つ紛れもない力作であり、“ザール・アミール監督作品”として観ると一本筋が通っている。しかし“ガイ・ナッティヴ監督作品”として観れば、そもそも物語の前提となった問題における自国の責任に一切触れていないため、「相手を断罪する」一方的にも見える姿勢に矛盾を感じてしまう。鑑賞後にナッティヴ監督のスタンスを探るため海外インタビューを漁ることとなった。

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知らないカノジョ

公開: 2025年2月28日
  • 文筆家  和泉萌香

    この世界、一つの現実ではよりによってパートナーと自分、どちらか一人の成功しか存在せず、自分の存在が相手の幸福に作用するというなかなかにシビアな設定ながら、中島健人、miletふたりの好演で爽やかなラブストーリーとなっている。とはいえ、パラレルワールドでの彼の奮闘っぷりもファンタジー内のファンタジー、といったふうでとんとん拍子に出来すぎかつ、最後もあっけなくハッピーエンドで、「もしも」という言葉のしみじみとした奥行きは希薄。

  • フランス文学者  谷昌親

    ラブストーリーに音楽、そしてファンタジー的要素まで加われば、三木孝浩監督の独壇場となる。実際、それこそさまざまなファクターをそつなくまとめあげる手腕はみごとなものだ。しかし、ファンタジーだとはいえ、「ここで生きるしかない」と作中人物に言わせておきながら、結局はもうひとつの世界への未練を断ち切らせないのであれば、それまでの人物たちの営為はどうなってしまうのか。ハッピーエンドになること自体はかまわないが、そこに至る過程をこそ映画は描くべきではないのか。

  • 映画評論家  吉田広明

    パラレルワールドものだが、どちらの世界にあっても上手くいっている自分を求める主人公の身勝手さが目立って見える。最終的に自分の成功を諦めることで彼女の成功の持続を望むのも、自己犠牲のつもりなのが苛立たしい。彼の書く小説(ラノベの戦闘ものだ)と二人の現実がうまく繋がっているかに見えないし、二つ目の世界におけるステータスの差が大きすぎ、それを繋げるはずの祖母が挿話に留まるなど、構成が無理筋で強引に見える。よって二人とも成功者のエンディングも見ていて白々しい。

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あの歌を憶えている

公開: 2025年2月21日
  • 映画監督  清原惟

    失いたくないのに記憶を忘れてしまう男性と、忘れたい辛い記憶によって人生を変えられてしまった女性が出会い関係性を作り上げていく。痛みの共感によって男女が結びつく、紋切り型の心温まるストーリーかもしれない、とはじめ思って観ていたが、一人ひとりの丁寧な描き方に安心した。性加害が人の人生を傷つけ変形させてしまう恐ろしさをきちんと取り扱っていること、二人の関係性を単純な恋愛に押し込めない手つきが素晴らしいと思った。娘と母の物語としても観ることができる。

  • 編集者、映画批評家  高崎俊夫

    原題はズバリ「記憶」。もともと映画自体が記憶に深くかかわるものであり、見る者の記憶によって千変万化するから、この主題は映画と極めて親和性が高い。若年性認知症の男とソーシャルワーカーのシングルマザーが高校の同窓会で最悪な出会いをする。まさにお互いにちぐはぐな記憶を修整し、繕うようにして二人は親密になる。その?末はほぼ予測がつく。むしろそのゆるいウェルメイドな味わい、記憶というオブセッシブな作用が孕む両義性を謳い上げていることこそが、この映画の美徳だろう。

  • リモートワーカー型物書き  キシオカタカシ

    あえて俗っぽい言い方をすれば“胸糞映画の旗手”である監督がこれまでの過去作で直接描いてきた地獄が主人公シルヴィアの“記憶”としてオフスクリーンに存在する、“ミシェル・フランコ映画の後日談”的な趣がある本作。トラウマが白日の下に曝され心から鮮血が噴き出し、最悪な事態の予感に身構えてしまう悲痛な瞬間も確かにあるが、驚くほど親密で優しい視点が全篇貫かれている。フランコが脚本執筆時「ミニー&モスコウィッツ」を参照したと後から知り、空気感の正体に膝を打つ。

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ブルータリスト

公開: 2025年2月21日
  • 俳優  小川あん

    215分という長尺は観客にプレッシャーを与える。しかし、ひとりの人生の歴史を語るには相応の時間が必要だということを、本作は完璧に立証している。驚くべきは、これが実話ベースじゃないこと。苦難を生き抜いた人物という記号ではなく、ラースロー・トートを真の存在にさせた。手紙を読み上げる声と、交響曲の響き、ダイナミックな映像のシンフォニーが、主人公が生き抜く姿を見事に体現し、各所の技術面での仕事が完璧に調和している。大胆でありながら繊細な創作の力に息を呑む。

  • 翻訳者、映画批評  篠儀直子

    建築ファン(わしじゃ)は全員感涙必至。ていうか、クールなオープニングクレジットまでの数分間だけでもう泣いてしまった。だがその先はそんな華やかな演出はあまりない。明らかに強制収容所を思わせ、いずれ誰かの墓廟めいたものになるのではと予感させる建築物の、施工過程に次々降りかかるトラブルは、誇大妄想的な大プロジェクトが頓挫するあれやこれやの作品を想起させるが、映画の着地点はそのどれでもなく、第二次世界大戦後の(現在も?)米国社会を覆っていた、ある精神を浮き彫りにする。

  • 編集者/東北芸術工科大学教授  菅付雅信

    ホロコーストを生き延びて米国へ渡ったユダヤ人建築家の苦難の日々を描いたドラマ。バウハウスで教育を受け欧州で実績を残した建築家がアメリカでどん底からの再起を図るが、傍若無人な資産家の依頼に翻弄される。ユダヤ人の苦難、3時間25分という長尺、役者陣の熱演という批評家受けする要素を持ちながらも、第二部タイトル「美の核心」とは裏腹に、映画はホロコーストの核心にもブルータリズム建築の核心にも触れていない。物語の核がないのに、批評家攻略マニュアル的なあざとさが鼻につく。

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SKINAMARINK/スキナマリンク

公開: 2025年2月21日
  • 文筆業  奈々村久生

    一言で言うなら究極の「匂わせ」映画。何らかの現象の一部だけが断片的に、それも焦らすように小分けに公開され、疑惑と憶測を延々と想起させる。発信する側だけが全貌を把握していて受け取る側を弄ぶような、意味があるようなないような仄めかしの連続が悪趣味。実験映画として観るにしても、そもそも写っているものがつまらないから、怖くないし面白くない。映画の中でまで匂わせとマウントに煩わされたくない。自分が鑑賞に費やした時間をどうにか肯定する理由を探そうとしたが無理だった。

  • アダルトビデオ監督  二村ヒトシ

    日本で流行ってる短篇ホラー動画と同じく、恐怖の中心の「びっくりする死」と「痛みの地獄」を直接は見せないよう迂回して、不安の象徴だけをひたすらつきつけてくる。ちがうのはテーマが日常やテレビ番組や狂人やインターネットではなく「幼児の寂しさと悲しさ」であること。だから因果や因習や怨念の恐ろしさはいっさい描かれない。「人間がいちばん怖い」とはよく言われるが、その人間すらほぼ出てこない。怖かったけど、アート作品として美術館で鑑賞してたらもっと怖かったかもしれない。

  • 映画評論家  真魚八重子

    死の恐怖の雰囲気をたたえた100分。子どもたちが夜更けに目覚めると父親の姿はなく、家は窓やドアが消えていく。気がつくと子どもは天井を歩き、家の上下が入れ替わっている様子が、闇深い静謐な映像で綴られる。冥界に入るような不安が漂うものの、映画となるとそれは非常に退屈で、予告篇程度で十分事足りる。監督はもともとYouTuberで、この作品と同系統の5分の作品をネットに上げており、本作はそれを引き延ばしただけの印象。物語に起承転結もなく、長尺化は蛮勇だ。

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犬と戦争 ウクライナで私が見たこと

公開: 2025年2月21日
  • 文筆家  和泉萌香

    トルコが野良猫と共生する国というのは知っていたが、ウクライナでの野良犬の環境をはじめ、動物愛護の事情にまず驚いた。冒頭のシェルターや終盤の小児病棟の悲劇、インタビュイーたちそれぞれの悲痛な言葉、人間性の?奪がおこなわれている世界で翻弄されるすべての命の姿と、間違いなく現在進行形で起こっている恐ろしい戦争の記録だが、どこかきりっとした子、おっとりした子、抱えられた小さな子たちと犬、猫たちのシーンが長いのが魅力的で、魅力的がゆえに胸を掻きむしられる。

  • フランス文学者  谷昌親

    ロシアがウクライナに侵攻してから、三度にわたりウクライナに入国して撮影を繰り返した行動力と執念が作品に結実している。たしかに、この企画を断ったテレビ局のように、まずは人命救助のテーマを求めるのはいたしかたない面もあるが、山田あかね監督がこの映画をとおして突きつけた、命に優劣はつけられないというテーゼを受けつけなくなるのが戦争というものでもあるだろう。戦時下で見捨てられる犬の命と、その犬の存在に救われる人間の心をとおして、戦争に新たな光が当てられる。

  • 映画評論家  吉田広明

    戦争、震災の緊急事態にあっては人命優先というのは確かに危機のリアルではあるのだろうし、本作で取り上げられているロシア占領下でむざむざ犬たちを見殺しにせざるを得なかった保護施設などを見るとそれも理解できないではない。しかしそれでも人命優先で犬猫は喫緊の話題ではないと本企画を却下したTV局の姿勢はその危機のリアリズムそのもので、これは、戦時では犠牲にしても仕方がない命があるというそんなマッチョな姿勢に対する、小さな命からのささやかだが確かな抵抗だ。

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ノー・アザー・ランド 故郷は他にない

公開: 2025年2月21日
  • 文筆業  奈々村久生

    大挙してやって来たショベルカーが家を壊す。パレスチナ人の居住地をイスラエルの軍用地にするという名目で。抵抗する住人には銃を向けることも厭わない。そこで行われているのは明らかに殺人だが、イスラエル軍側の人間は罪に問われることも法で裁かれることもない。倫理や道徳、善悪で論じるのはもはや無意味だ。同時に浮かび上がるのは現実の後を追うことしかできないジャーナリズムの無力。だからこれは単なる現実の記録ではない。その意味で「シビル・ウォー」との間に位置する一本。

  • アダルトビデオ監督  二村ヒトシ

    大切なのは生活だ。石を積んだ家で暮らす日々(子どもたちは我々と同じようにスマホでゲームをしてなかなか寝ない)が想像もできない僕は、平和ボケしてるから自分が自分の生活から追放され殺される事態も想像つかない。追放や破壊や虐殺を行うのは、かつて追放され差別され虐殺された民が作った国。DVの連鎖と同じだ。だがイスラエルの若者はパレスチナで、自分の国の行為を目撃する。パレスチナの若者と一緒に映画を撮る。撮るしかない。人間は狂っていない。狂っているのは常に国家や組織だ。

  • 映画評論家  真魚八重子

    パレスチナ人居住地区であるマサーフェル・ヤッタ。監督のバーセルは、故郷がイスラエルから勝手に「軍事射撃区域」に指定され、村がショベルカーで無理やり破壊されるさまを撮影する。日本では我が事として想像するのが難しい災難の光景だ。そしてイスラエルのジャーナリストのユヴァルは、自国の振る舞いに胸を痛め、バーセルの撮影に協力する。敵側にもまともな倫理を持つ人がいると再確認できる行為だが、これは意外ではなく、慈悲や同情という当然の人間的感情なのだ。

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ゆきてかへらぬ

公開: 2025年2月21日
  • ライター、編集  岡本敦史

    このスタッフ・キャストの顔ぶれで、本誌読者が観ない理由はほぼないと思うので、以下は余談。演出も俳優も容赦なくコテンパンにする田中陽造脚本の難易度の高さがいっそ清々しい。当時の若者のトレンドであるところの近代思想や自意識に染まって久しい大正アウトサイダーズの愛と葛藤を、令和の若者が異国の出来事に触れるように好奇心をもって喰いついたらいいな、と思いながら観た。誰よりも現代作家として在り続けた根岸監督の挑戦に、自分も長らく失った「若さ」を感じた。

  • 映画評論家  北川れい子

    期待が大きかったことは確かだが、まさか観ていてこれほどこそばゆくなるとは思いもしなかった。鈴木清順監督の伝説的な大正ロマン三部作の脚本で知られる田中陽造が、長年温めていたという脚本の映画化。冒頭の雨の京都の狭い路地で、根岸監督が、朱色を効果的に使っていた清順監督よろしく、赤い傘と赤い柿を際立たせていたのはともかく、3人の主役たちの、翻訳ものの舞台劇のような背伸びした演技。ふと“中原よ 地球は冬で寒くて暗い”という草野心平の言葉を思い出したりも。

  • 映画評論家  吉田伊知郎

    根岸が16年ぶりに撮ったのではなく、映画が16年ぶりに現れたのだと言いたくなるほど濃密な空間がそこかしこに出現する。ことに室内セットの仄暗さ、湿気まで漂ってくる空間の素晴らしさ。ロマンポルノが限られた条件下で時代性を再現していたように、撮影所時代を知る監督ならではのセットの活用や、ロケセットの使い方に感心しきり。するのではなく、しないことで三角関係を反射させる泰子は、「ナミビアの砂漠」のヒロインと双璧の存在。ご本人出演の「眠れ蜜」もこの機会に再映希望。

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ファイアーブランド ヘンリー8世最後の妻

公開: 2025年2月14日
  • 文筆業  奈々村久生

    史実との符合はともかく「宮廷サバイバルスリラー」として楽しんだ。ヴィキャンデルも一目ではわからなかったぐらいコスチューム・プレイを乗りこなしていたが、肥大した暴君ヘンリー8世を演じたジュード・ロウの変貌ぶりには新鮮に衝撃を受けた。夫婦でありながら敵対する二人だがどこか共犯者のようにも見える。野心と陰謀うずまく視線のドラマやシスターフッド的な要素も悪くない。諸事情でモノクロのバージョンを鑑賞したのだが、過激な描写や情報量が中和されたソリッドな味わいもよかった。

  • アダルトビデオ監督  二村ヒトシ

    「王」というものは長いあいだ玉座についていると狂い、誰かをむかつかせるようになり、ちっぽけな王であっても(いつテレビをつけてもその人が映ってて周囲を支配している偉そうな者も王だ)かならず殺されるか引きずり降ろされる末路をたどる。現代でも銃撃されて本当に処刑される王もいるし、王を袋叩きにするのは民衆を興奮させる娯楽だ。これは王殺し=夫殺しの現代的な映画。ほとんどの場合、女は同レベルの男より優秀だが、女も男も王になるなら悲しみを知ってる者がなるべきなのだ。

  • 映画評論家  真魚八重子

    イギリス国王で、妻を次々と迫害追放してきた暴君ヘンリー8世と、6番目の妻となったキャサリン。イングランド国教会を設立したヘンリーに対し、キャサリンはプロテスタントとして信仰が厚く、布教を考えていた。ヘンリーのでっぷりした見た目は、女性を力で圧倒する残酷な恐ろしさを体現し、対するキャサリンは冷ややかな美貌でヘンリーを懐柔し、信仰で裏切る知性を放つ。豪奢な衣裳と主演二人の艶のある演技に魅了される。ヘンリーの壊疽がサスペンスの鍵となる設定も面白い。

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聖なるイチジクの種

公開: 2025年2月14日
  • 映画監督  清原惟

    イラン政府に反対する民衆のデモが発端となって、父親が政府の仕事をする一家に波紋が生まれていく。極めて政治的な題材を、ある家族の中の思想の違いや亀裂などを描くことで、大きな社会の縮図のように見せている。一番印象に残ったのは母の葛藤だった。家父長制を受け入れて生きてきた母は、はじめ娘に慣習を受け入れることを強いるが、娘の友人が傷つけられた姿を見たり、父親の本性が炙り出されていく中で、彼女の良心や抑圧されていた気持ちが表出していくさまに心動かされた。

  • 編集者、映画批評家  高崎俊夫

    父親が予審判事に昇進し、何不自由のない特権を享受する家族が一丁の銃の消失で内部崩壊するさまを描くポリティカル・スリラーだ。保守的価値観を遵守する母、リベラルな二人の娘。だが父は上司の命令で死刑判決の署名を強制され精神に変調をきたす。後半、疑心暗鬼の果てに家父長制を体現するモンスターと化した父親の理不尽な暴走が前景化する。だが迂回を重ねるそのミスリード的な語り口がかえって根源的な国家批判には至らぬ脆弱さを露呈してもいる。

  • リモートワーカー型物書き  キシオカタカシ

    かなりの長尺作品だが、「家庭内で銃がなくなる」という公式あらすじの出だしも出だしに辿り着くまで本篇のちょうど半分ほどが費やされる……後半で大胆な転調をすることもあり、“登場人物が同じ別ジャンルの80分映画2本立て”という感覚も。しかし構成が破綻しているというわけでない。2022年イランをヒリヒリと丁寧に描いた“地獄の日常系”な前半が圧力鍋のように働き、内面化した社会規範に乗っ取られた者が内部崩壊を起こして暴発する“サイコスリラー”な後半の重みを増している。

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セプテンバー5

公開: 2025年2月14日
  • 俳優  小川あん

    生中継の裏側をリアルに映した緊迫感のある映画というリード文では収まらないくらいの傑作。この超ストイックな方法論は、仕事とプライド、世界と国、報道と事実、ほかあらゆる相対的なものをカメラで確実に捉えている。究極のテンポ感を落とすことなく、維持し続ける難しさ。それに追いつかなければいけない(もしくは先をゆく) 俳優・スタッフに拍手喝采。そして、オープニングからラストまでの90分の時間を完璧に終えた。カメラに映る、見逃してはいけない瞬間は秒単位にある。

  • 翻訳者、映画批評  篠儀直子

    このタイミングでの製作・公開はどうしても別の意味を帯びてしまうが、困ったことに猛烈に面白い。スリラー+バックステージ物という感じで、P・グリーングラス監督作みたいなスピード感。主眼は、突然報道を担うことになったスポーツ部クルーが直面する倫理的ジレンマ。目の前の物語を語ることに徹しようとする彼らだが、それは「誰の物語」なのか。決断を迫られつづける若手プロデューサー役は、ライカート作品のJ・マガロ。ドイツ人通訳と、アルジェリア系フランス人クルーの存在が効いている。

  • 編集者/東北芸術工科大学教授  菅付雅信

    1972年のミュンヘン・オリンピックで起きた人質テロ事件の?末を生中継したテレビクルーの視点で映画化。よってカメラはほとんど放送局の中から出ることなく、刻一刻と変化する大事件を生中継することを選んだ者たちの倫理的葛藤も含んでサスペンスフルに展開する。無名の俳優を起用することで、極めて真実に近づけた再現ドラマのようなリアリズム。そして半世紀前の事件の要因が、今の世界とも地続きであるという現在性。映画の観客を「歴史の目撃者」に変容させる見事なノンフィクション劇映画。

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ドライブ・イン・マンハッタン

公開: 2025年2月14日
  • 映画監督  清原惟

    上から目線の中年男性タクシー運転手に絡まれて、だるい話をえんえん聞かされる上に、プライベートな話も根掘り葉掘り聞いてきて、主人公の女性のしんどさも伝わってくるのに、最後なんだかいい話っぽくまとめてるのが納得できない。映像的にもワンシチュエーションであるが故の単調さを乗り越える工夫もなく退屈さを感じてしまった。女性を妙に魅力的に(特にその視線のありかたなど)描く演出にも、いやらしさを感じてしまい、徹底した男性目線の映画だと思ってただただ疲れてしまった。

  • 編集者、映画批評家  高崎俊夫

    マンハッタンの自宅に向うタクシー内での美女と初老のしがない運転手の会話だけでこれほど濃密なドラマが構築できることに感嘆する。老害スレスレのおせっかいな助言を買って出る皺が目立つショーン・ペンの果てのない饒舌。スモールタウン出身のダコタ・ジョンソンも時折、届く既婚者の恋人からの卑猥なメールに動揺を隠せず、そのダイアローグは次第に熱を帯びる。都市生活者の断片を切り取り、ささやかな真実をそっと差し出す。リング・ラードナーの上質な短篇にも似た味わいがある。

  • リモートワーカー型物書き  キシオカタカシ

    「汚れた現世に天から舞い降りた聖人のような“マジカルおぢ”を描く物語だろうか?」という先入観で鑑賞したが、確かにその一面も若干あれど本作のショーン・ペンの言動はウザ絡み一歩手前、過去の奔放なイメージもこだますスケベオヤジ。そんな中高年男性のダメさ加減も高解像度で表現しているように人物描写は遠慮なく率直だが、露骨な露悪性はない……人の優しさを信じる善性がすっと心に染みわたる。心の傷から膿を吐き出していく主人公2人の旅路から、確かなカタルシスをもらえた。

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愛を耕すひと

公開: 2025年2月14日
  • 文筆業  奈々村久生

    マッツ・ミケルセンが圧巻。北の不毛な地で苦行のような闘いに挑む男の営みにどんなスペクタクルがあるのかという邪推など叩き潰される。寡黙にして無骨な退役軍人ケーレンの瞳の奥に宿る闇と光、険しい表情に刻まれた感情の揺れが物語る豊穣な顔のドラマ。彼を取り巻く共演者たちは、ケーレンとは違う資質を持つキャラクターばかりだが、それぞれがまったく引けを取らないチームプレーも素晴らしい。殺伐とした光景の中、孤独な者たちがはからずも家族らしきものの形を為す瞬間は染みる。

  • アダルトビデオ監督  二村ヒトシ

    空気は読めないが体力があり、自分がなすべきことだけは決めてしっかり取り組むコミュ障の男が、お金がある男よりもモテるという話だ。ファンタジーといえばファンタジーだが、ここには現実的な希望がある。世の発達障がい気味の男性が苦しいのはクソみたいな上司に従わなければならないからで、(人を殴ったり殺したりは絶対やめといたほうがいいが)人の言うことを聞いてないで土に触って体を使って未開の地を耕せば、この映画でやってたようなエロいセックスができるのですよ。すばらしい。

  • 映画評論家  真魚八重子

    マッツ・ミケルセンが本国デンマークで撮った作品は、ちょっと奇妙な面白いクセがある。それを生み出しているのは、今回も脚本に参加しているアナス・トマス・イェンセンだ。本作のマッツも一般人から大尉にまで上りつめ、退役後は貧窮しているケーレンという不可思議な男で、国に貴族の身分と引き換えに荒野の開拓を申し出る。地位にこだわり決してヒューマニストではないはずなのに、主人公ゆえに差別を否定し、身分制も自然と乗り越え善人となる、映画らしい変遷が興味深い。

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ショウタイムセブン

公開: 2025年2月7日
  • ライター、編集  岡本敦史

    原作映画「テロ,ライブ」の果敢さ、精神性、ラジオ愛などは期待するべからず。テレビ局の信用がとことん失墜した状況での公開は、またとない好機だったかもしれないが、半端に踏み込みの浅い脚色が忖度や限界ばかり感じさせる。原発問題、政治とカネ、メディアの凋落と、こんなにも切り込む対象の多い国でリメイクすれば成功確実だったはず。元首相銃撃という立派なテロがあったというのに、驚くようなセリフもある。韓国映画からの学びが単にエンタメ性でしかないなら、いよいよ絶望的だ。

  • 映画評論家  北川れい子

    リアルタイムといえば、米映画「フォーン・ブース」は、街中の公衆電話の受話器を離せば爆死するという密室劇で、生放送中のテレビスタジオが舞台の本作とは仕掛けが異なるが、主人公がその場所を一歩でも出れば即爆破という設定は共通する。“ウスバカゲロウ”と名乗る視聴者からの脅迫電話。生放送というのがミソで、観ているこちらも二転三転する展開にかなり翻弄されるが、ラジオに左遷されたのが不満の主人公のキャラが鼻につき、そうかテレビの方がエライのか。ちなみに当方はラジオ派です。

  • 映画評論家  吉田伊知郎

    フジテレビ騒動の渦中に観たので、白々しく感じたのは仕方なし。「テロ,ライブ」が傑作だけに、そのままリメイクすれば良いものを改悪してしまうところがさすが。全篇を狭いラジオブースのみで犯人とやり取りするのが良かったのに、TVスタジオの豪華なセットへ早々に移るので興醒め。阿部寛は簡易セットでも、その存在感で全篇を引っ張れる逸材なのに、それを信用しないから無駄な装飾物を作ってしまう。クライマックスはオリジナル通りにしておけば、今なら大いに盛り上がったのに。

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大きな玉ねぎの下で

公開: 2025年2月7日
  • ライター、編集  岡本敦史

    ふたつの時代を行き来する作劇のアイデアは悪くないが、その先の展開に意外性が感じられず、物足りない。セリフも全体的に面白味がなく、等身大と凡庸さをゴッチャにしている印象。ゆえに、ラブストーリーとしても、ロマコメとしても弱い。社会人になった大人目線で「若さゆえの不器用さ」を懐かしむようなキャラクター性を導入した結果、「がらんどう、かつ嫌な奴」という人物造形になってしまった主人公にも心惹かれず。若い出演陣には才能も魅力もあると思うので、ぜんぶ大人が悪い。

  • 映画評論家  北川れい子

    40年前にリリースされた“爆風スランプ”のヒット曲の、いまではほほえましいアナログの歌詞を、令和の現代に復活させた2組のラブストーリーだが、それなりに新鮮だ。髙橋泉の脚本は冒頭の居酒屋でのアクシデントから快調に走り出し、同じカフェバーで、昼と夜、すれ違いで働く彼女と彼の話に繋げていく。2人の間には仕事用の業務ノート。ラジオを通して描かれる、まんま歌詞をなぞった文通カップルのエピソードもくすぐったい。俳優たちの演技のバランスに無理がない、素直に楽しめる作品である。

  • 映画評論家  吉田伊知郎

    古典的な〈映画女優〉の雰囲気を持つ桜田ひよりの贔屓筋としては、冒頭の救命措置に勤しむ姿から、看護学生として現場に立ちつつ、カフェでバイトに励む姿へ、彼女にカメラを向ければ映画になることを再確認する。さりげなく手足を動かす姿がなぜか際立つ。「交換ウソ日記」に続いて、今度は連絡ノートにまで振り回されるが、そんな虚構を成立させる稀有な存在である。昭和末期と現代の二部構成の配分が絶妙とは言い難く、武道館のクライマックスが重なり合う作劇の難しさを感じる。

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ファーストキス 1ST KISS

公開: 2025年2月7日
  • ライター、編集  岡本敦史

    軽快かつウイットに富んだセリフを、リズミカルな場面転換で積み重ねていくドライブ感に舌を巻く(それも冒頭からかなり長丁場にわたって)。さすが当代一の人気脚本家&監督の仕事。ハリウッドの女性主導ロマコメを彷彿させ、これは海外でも勝負できるのでは?と本気で思った。女優・松たか子の魅力を誰でも再認識できるスター映画としても秀逸。ただ、近年の風潮に倣って「凝っても仕方ない」部分は潔くすっ飛ばしがちで、タイムスリップ周りの工夫がもう少し心に残ってもよかった。

  • 映画評論家  北川れい子

    夫と出会う15年前にタイムトラベルする松たか子の、どこか遊び気分の演技がいい感じ。惰性で夫婦生活を続けていた現実の夫は、人助けで命を落としたばかり。15年前の夫は好青年で、彼女はもとの年齢のまま。それにしても事故死とかタイムトラベルなど、ありがちな設定を使って、まるで精緻な細工もののようなラブストーリーに仕上げる坂元裕二の脚本に感心する。塚原あゆ子監督の緑の空間をたっぷり映しこんだ映像演出も心地よい。細部に神宿るという映画作りの鉄則に忠実な佳作だ。

  • 映画評論家  吉田伊知郎

    脚本や監督に期するものがあるとはいえ、この題名と設定で大丈夫かいなと油断していると、ぐいぐい引き込まれてしまう。同年同日同時刻にしか移動できない縛りを巧みに用いて、細田版「時かけ」のタイムリープ連打よろしく、ささいな失敗のリカバリーを繰り返しながら、大きな失敗の挽回を目指す。まるで「四月物語」の頃の雰囲気の松が登場することに驚くが、今を貶めて描くことなく、老いも若きも、生も死も肯定的に描く作劇が見事。巨大な虚構を成立させる細部の充実に目を見張る。

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誰よりもつよく抱きしめて

公開: 2025年2月7日
  • 文筆家  和泉萌香

    原作では主人公月菜が出会う青年は同性愛者とのことだが、本作では「人のことを愛せない青年」となっており、そのセクシャリティについても曖昧で、ただただ彼女にちょっかいをかけるキャラクターのような薄っぺらさ。タイトルのような情動もなく、ティーン向け少女漫画にもないだろうと突っ込みたくなるようなお別れシーンやら、終盤にて三山凌輝演じる彼によるある行為での「ドラマティック」な演出にも閉口するが、主人公の成長と彼女のさっぱりした女友だちが救い。

  • フランス文学者  谷昌親

    人間関係をしっかり描こうとしていることはそれなりに伝わってくるし、海辺のロケーションも印象的で、溝ができつつある男女関係を壁をはさんで左右にいる人物の構図で見せるといった映画ならではの工夫も悪くはない。だが、原作から引き継いだ絵本(原作では童話だが)と強迫性障害が中途半端に浮き彫りになり、純愛を強調するための道具に見えてしまうのが致命的だ。そもそも、触れることができない辛さをテーマにするなら、触れることの大事さを丁寧に描くべきではないだろうか。

  • 映画評論家  吉田広明

    難病ですれ違い、引き裂かれる恋人たちなんて一昔前にはTVメロドラマで散々あったような気がするが、さまざまな障害、マイノリティに関する映画が製作される昨今、本作の主人公が悩む強迫性の接触障害に関する理解も深く、繊細にアップデートされているのかと思いきや、その扱いは(恋人に触れえないという)恋愛の障壁としての役割に過ぎない。つまり障害は単なる「ためにする」設定であり、これは障害の搾取と言われても仕方があるまい。昨年の収穫より一歩も二歩も後退した映画。

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ドリーミン・ワイルド 名もなき家族のうた

公開: 2025年1月31日
  • 俳優  小川あん

    70年代にアメリカで「ドリーミン・ワイルド」というアルバムを自主制作した兄弟と仲間を描いた、実話に基づく音楽ドラマ。過去と現在を交錯させながら、名声と家庭、成功と失敗のはざまで揺れる兄弟や家族の絆を描く。良かったのが、主人公のドンは愛に溢れて育った環境だったこと。親は夢を全力で応援し、兄は弟を支えるために側にいる。だからこそのプレッシャーと苦しみ。地味でありながらも、ケイシー・アフレックの哀愁漂う芝居は感動ものだ。ケイシーは田舎町がよく似合う!

  • 翻訳者、映画批評  篠儀直子

    30年前のアルバムが発掘され大バズりとなれば手放しで喜びそうなものだが、そうはいかない事情が主人公にはある。10代の自分との対峙、兄との立場の差など全部映画的に表現されていたのに、クライマックスで台詞で語りなおされてしまうのは残念な気もしたが、場面の状況的に仕方ないか。それでも語り口に「アメリカ映画」としか言いようのないしみじみとしたよさがある。「サバービコン」以来何となく動向を気にしているノア・ジュプが、歌声も聴かせ、健在ぶりを披露しているのが個人的にうれしい。

  • 編集者/東北芸術工科大学教授  菅付雅信

    70年代にデビューしたもののまったく世間から評価されなかった兄弟デュオが30年後にコレクターから再評価され、再発と記念ライブが決まる。しかし、それは兄弟にとって過去と深く向き合うことだった。「夢追い人」であるデュオの弟とそれを支える父、諦めつつある兄との確執や和解が、芳醇な感情のタペストリーのように描かれる。最後の時代を超えたライブの描写が素晴らしく、商業的な成功よりも自らの表現や人間関係の成熟を選んだ姿勢にポスト資本主義な豊かさを感じる。

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ザ・ルーム・ネクスト・ドア

公開: 2025年1月31日
  • 俳優  小川あん

    大女優二人が戦争記者、小説家という役柄を通じて、それぞれの経験に裏打ちされた人生観・死生観を語り合う。死 (または生) への強い欲望を描くことを、エモーショナルにせず、ほぼ語りのような会話と束の間の沈黙で表現する。そして顕わになる、若かりし頃の二人の仕事への気概、誇りが説得力を与える。描写まで浮かぶ。わたしも歳を重ねて、この境地までいきたいと俳優人生と向き合わなければいけない。アルモドバルが70代にして初の英語劇ということで、想像を超えた静かな傑作だった。

  • 翻訳者、映画批評  篠儀直子

    アルモドバルの色彩豊かな画面で語られる、死についての思索。ジョイス/ヒューストンの「ザ・デッド」への美しい言及があり、死を間近に見据えた人間の運命が、死を目前にしているかもしれない地球の運命と、不意に連結される瞬間もあり。とはいえ最大の見どころは、舞台劇のように会話が続く作品世界を隙なく支える、ティルダ・スウィントンとジュリアン・ムーアの安定感と凄み。娘ミシェルとの関係が良好であったならマーサの選択は変わっていたのかもしれないと思うと、何とも言えない気持ちに。

  • 編集者/東北芸術工科大学教授  菅付雅信

    アルモドバル監督初の英語作でT・スウィントンとJ・ムーアという名女優の共演。病に侵され安楽死を望む女性とその親友で最後を見届けようとする女性の数日間を描く。名作になりそうな材料が揃いながらも、アルモドバル流の色彩美学が強調され、インテリア雑誌のファッション・シュートのような場面が連続する表層性。彼女らの元恋人で悲観主義のインテリ男(ジョン・タトゥーロ)が今の世界への気障な嘆きを語るが、映画全体が上流階級の優雅で軽薄な悲観主義に終わっており、その価値観を肯定し難い。

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BLUE FIGHT ~蒼き若者たちのブレイキングダウン~

公開: 2025年1月31日
  • 文筆家  和泉萌香

    「ごくせん」や「ROOKIES」もろもろ、私が小学生、中学生頃の「不良ドラマブーム」はすごかったと記憶しているが、いつの間にかすっかり見なくなり、「ツッパリ」どころか「不良」も死語に近づいているのだろうか(最近の不良はそういった格好をしていないと記事で読んだことがある)。物語はいたって紋切型の青春エンターテイメントで、全篇「ネット界と映画界のコラボ」の印象にとどまるが、今回が初主演の木下暖日、吉澤要人の溌剌とした姿は眩しくこれからが楽しみ。

  • フランス文学者  谷昌親

    「クローズZERO」のスタッフやキャストが参加しているという触れ込みのせいで、最初から最後まで殴り合いをしている映画なのかと思いきや、少年院での出会いから始まるドラマとして描かれていて、不良少年ものであるとはいえ、直球すぎるほどの青春ドラマとなっている。三池崇史監督の瞬発力は随所に感じられはするが、ブレイキングダウンそのものも含めて、青春ドラマ的な親和力のなかにすべて包み込まれてしまった。「DEAD OR ALIVE」シリーズのような圧倒的爆発力が懐かしくなる。

  • 映画評論家  吉田広明

    格闘技の試合に出場しようとしてどん底から立ち上がる少年二人と、彼らに敵対する者たちとの人間模様。最近多い不良少年抗争ものに関心のない当方でも興味深く見られたが、それにはこれが類型的物語であることも寄与してはいて、「拳で語る」という言い回し通り、殴り合いの中で互いを理解してゆき、最終的に悪人はいなくなる予定調和の展開。新人である主演の二人はじめ少年たちが見知らぬ顔なのが生々しい感触でよいだけに、カメオ出演の多さは正直鬱陶しいし醒める。

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Brotherブラザー 富都(プドゥ)のふたり

公開: 2025年1月31日
  • 俳優  小川あん

    富都のスラム街で、身分証を持てず生活していた兄弟に悲劇が訪れる。テーマは社会問題×兄弟愛。社会問題を描く観点で言えば、もっと個人的な場面を盛り込んでほしかった。絶妙に難しいラインだけど、その辺りは台湾映画の巨匠たちがずば抜けていると思ってしまう。まだ幼かった頃の兄弟が、ゆで卵を頭でわり合う回想シーン。感傷的なシーンとは取れなくて残念。最後の時を迎えたアバンの魂の叫びは観客にも心が揺さぶられるものがある。声にならない声、とはまさにこのことだ。 

  • 翻訳者、映画批評  篠儀直子

    年齢設定がわからないけど弟があまりに精神的に未熟なのが気になるなあと思っていたら、途中からやはりそのせいで、予想もしなかった方向へと物語が転がりはじめる。死んだ女性の人生を奪ったことをわびる人物も、彼女のために憤る人物も祈る人物も出てこないのがどうしても気になるが、マレーシアの知られざる問題を取り上げたこと自体は意義深く、何より撮影が素晴らしい。社会のネガティブな側面を描いた映画であるにもかかわらず、日常を丁寧に拾う官能的な画面が、この国の魅力へと観客を誘う。

  • 編集者/東北芸術工科大学教授  菅付雅信

    クアラルンプールのプドゥ地区にあるスラム街に生きる二人の兄弟の物語。身分証明書を持たない二人は危険と隣り合わせの日々を送るなかで、ある事件が二人の運命を変えていく。まるで英作家チャールズ・ディケンズのアジア版のようなドラマ性のある物語で、兄弟を演じる二人の俳優も素晴らしく、映像もアジア的芳醇さがある。話が悲惨さに終わらないのもいい。ろう者の兄を演じた台湾のウー・カンレンの目力に射抜かれる。

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ゴールドフィンガー 巨大金融詐欺事件

公開: 2025年1月24日
  • 俳優  小川あん

    製作費70億、贅沢だ! フィクションとはいえど80年代香港の金融業界が超エンタメ。主演二人の見事なスターっぷりが相性抜群◎。テンポ重視で、どんどん詐欺。どんどん人殺し。どんどん金儲け。この急速なスピードで成り上がっていく様は見ていて面白い。舞台も豊富で、なんじゃこりゃ、と思うような巨額のお金を費やしたオフィスや、明らかに危険な匂いのする廃墟のような取引場。アジア圏内だけに、親近感。トニー・レオンは、イケオジ。彼のベストアクト「花様年華」から25年かぁ。

  • 翻訳者、映画批評  篠儀直子

    〈君の瞳に恋してる〉が流れるモンタージュ・シークエンスまで(前半部)は、ケレンにあふれ、アップビートでゴキゲン。ところが後半、展開が何だか駆け足気味になり、ジャンルまで変わったかのようになって、全体で見るとどうもバランスが悪い印象に。もしかしたら配信のミニシリーズにしたほうがいい題材なのかもと思ったら、この事件をもとにした連ドラはすでに2020年に香港で放送されているとか。けれども2大スターの顔合わせの魅力は絶大、70・80年代香港の再現も映画ファンには感慨深いかと。

  • 編集者/東北芸術工科大学教授  菅付雅信

    トニー・レオンとアンディ・ラウが「インファナル・アフェア」シリーズ以来、およそ20年ぶりに共演した、香港のバブル経済における金融詐欺事件をめぐるドラマ。詐欺師役のレオンと捜査官役のラウの15年にわたる駆け引きを描く。間違いなく魅力的なキャスティングなのだが、波瀾万丈な15年を圧縮して見せようと、映画は2時間総集篇のような慌ただしさ。さらにVFXがこれでもかと使われ、ゴージャスな犯罪譚がチープなルックに。化学調味料がふんだんに入った満漢全席の味わい。

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おんどりの鳴く前に

公開: 2025年1月24日
  • 文筆業  奈々村久生

    邦題は聖書に出てくる言葉で、イエスが弟子の裏切りを示唆したもの。平和とは臭いものに蓋をして見て見ぬふりを決め込んだ上に成り立っているという皮肉な事実が突きつけられる。田舎の同調圧力から生まれる異常性はよそ者によって暴かれることが多いが、告発者が内部にいた場合はどうなるか。それは地獄でしかないことがドライな語り口で描かれるが、大衆の信じるもの=正義になるのは世の道理で、この世界は大きな田舎に過ぎない。それをニヒリズムでは見過ごせなかった主人公の悲哀が染みる。

  • アダルトビデオ監督  二村ヒトシ

    主人公がとても不気味なんだが、それは顔つきとか猫背とか物腰とか、俳優の的確な表現によるもので、物語レベルでは不気味じゃないどころか彼の理性や感情、欲望(というか希望と絶望)はとてもよくわかる。観ている我々にとってとてもよくわかる人物(我々自身と言ってもいい)が、映像の中ではとても不気味だという切実。田舎ホラーかと思ってたら社会派、しかも声高に政治の正義を語るのではない、地に足のついた普遍的なドラマ。ラストのオフビートな衝撃の展開に笑いながら泣くしかない。

  • 映画評論家  真魚八重子

    田舎で珍しく惨殺事件が起こる。警官のイリエは村長や司祭からまあまあと丸く収めるよう促される。すでにお膳立ても出来ていて、村はすぐ元の落ち着きを取り戻すだろう。しかし新たにやって来た若い警官は疑念を抱き、引き続き独自で捜査する。田舎者で将来は果樹園を経営しようと思っていたイリエは、気がつくと哲学的な問いの前に立たされ、逃げ場を失っている。良心に従って崖っぷちに立つか、良心に背き一生十字架を背負うか。ラストの銃に不慣れな者たちの銃撃戦が胸を打つ。

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蝶の渡り

公開: 2025年1月24日
  • 映画監督  清原惟

    古い家の中に芸術家のコミュニティがあるという設定は面白いが、自分が土地の歴史的背景を知らないせいなのか、彼らの生活をあまりリアリティを持って受け取ることができなかった。主人公の画家コスタのかつての恋人が、コスタや他のメンバーよりも明らかに若い俳優なのにも、美しさを強調する演出だとしても違和感を感じてしまう。よく知りもしない外国人と結婚しようとするエピソードなどは痛々しく、切実さと喜劇のバランスの中で迷子になった気持ちだった。

  • 編集者、映画批評家  高崎俊夫

    昔見た「ロビンソナーダ」の監督の新作と聞いて驚いた。ソ連から独立後の戦火にまみれた複雑なジョージアの現代史が迫真的なモノクロのニュース映像と親密でプライベートなビデオ映像を交錯させつつ綴られる。27年前の祝祭に満ちた日々と内閉した現在が対比される。画家のコスタの半地下の家は、離合集散を繰り返しながら、甘美で痛切な記憶を共有している芸術家たちにとってはかけがえのないアジールなのである。全篇に柔らかな官能が脈打っているのもこの映画の際立った美点である。

  • リモートワーカー型物書き  キシオカタカシ

    月並みだが、映画鑑賞の醍醐味の一つは異文化を知ること……ソ連崩壊直後?コロナ禍直前までのジョージア人の想いと生き様を悲喜こもごもの90分間に優しく凝縮した物語に、このタイミングで触れることができたのは得難い体験であった。先月の「私の想う国」でも感じたが、各国の映画作家が希望の灯火を次世代に継承しようとしても逆風が吹き荒れているのが世界の潮流――。そんな中で本作もまた、映画を観終わった先に待つ“その後”の現実から目を逸らさせず、向き合わせる力を持つ。

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雪の花 ―ともに在りて―

公開: 2025年1月24日
  • ライター、編集  岡本敦史

    時代劇とは現代を描くためのジャンルである、という韓国のイ・ジュニク監督の言葉を思い出す一作。医療従事者の努力と献身を伝える実話を、この時代に映画化する意義は大きい。なればこそ、ワンシーン・ワンカット演出にこだわるあまり、本来エモーショナルな物語が必要以上に枯れたタッチで綴られることには若干の疑問を覚えた。効果的な引き画の長回しもあるが、ごく普通の切り返しが素直に良い場面もある。苛酷な山越えのあとのくだりも、割り方次第でより実感を増した気が。

  • 映画評論家  北川れい子

    時代劇、現代劇を問わず、小泉堯史監督が描く人物やその世界観には常に生真面目な誠実さがあり、観ていていつも安心する。漢方医である主人公が、蔓延する疫病の治療薬を求めて奔走するという本作も、つい昨日のコロナ騒ぎを体験しているだけに、主人公ならずともその不安や恐怖は他人事ではない。ただいくつかアクションはあるものの、いまいちドラマ性が希薄で、演出も楷書書きのようにどこか堅苦しい。いや、だから退屈、というわけではないが、正面芝居が多いせいか窮屈感も。

  • 映画評論家  吉田伊知郎

    風の音が響き、草木の匂いが漂い、歴史的建造物に手を加えて撮ることで人が暮らす温かさが息づき始める。そんな手間暇をかける時代劇は今や皆無だけに、その悠々たるリズムと共に画面に惚れ惚れする。感染症の拡大と予防接種に対する流言飛語に向き合う物語は、増え始めたコロナを題材にした作品の中でも突出した完成度。役所広司の存在感が役よりも大きすぎる問題や、チャンバラのサービスは必要だったのかという疑問はあれど、「赤ひげ」への静かな返歌として好ましく観る。

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アンデッド/愛しき者の不在

公開: 2025年1月17日
  • 映画監督  清原惟

    ゾンビ映画の定石を、ただただ静謐な映像で捉えているという印象。俳優のお芝居、細かい演出には引き込まれるところはあった。母親を亡くした娘の手先の、ほとんどはげてしまったマニュキアが、泣かずにいる彼女の悲しみを表していた。セットや美しいロケ地の数々に、映像に対する美学を感じるが、生前の人々の関係性や暮らしがあまり想像できないことで、風景がうまく物語と結びついていく感じがない。すでに失われてしまったものを、映画の中で描くことの難しさについて考えさせられた。

  • 編集者、映画批評家  高崎俊夫

    かつて「霊魂の不滅」というスウェーデンのサイレント映画の名作があったが、これはいにしえの民間伝承のごとき死者への鎮魂というモチーフの復活とみるべきか。あるいはゾンビ映画の一変種ととらえるべきだろうか。北欧のオスロで死者が蘇る奇怪な現象が頻出する。戒厳令下のような沈鬱さが街を支配し、深いメランコリーに囚われた老人と娘は墓を暴き死臭を漂わせる孫と共棲を図るも隠遁生活は崩壊する。そこには死生観の相違だけでは括れない決定的な隔たりを感じてしまうのだ。

  • リモートワーカー型物書き  キシオカタカシ

    これまで現実社会のあらゆるメタファーを仮託されてきたゾンビ映画……本作の場合は悲劇相次ぐこのご時世に映画界でますます存在感を増した印象があるサブジャンル、“喪の作業(モーニング・ワーク)”もの。典型的作品であれば冒頭あるいは行間でさくっと処理されてしまうようなゾンビパンデミックの“ゾ”の字あたり、序破急における序の序だけを、ベルイマン的格調で長篇にまで拡大したのが新機軸か。まだまだ掘り下げる余地がある、ゾンビ映画の懐の深さを改めて感じさせてくれる。

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ストップモーション

公開: 2025年1月17日
  • 映画監督  清原惟

    偉大なアニメーション作家である母から解き放たれ、自分自身の作品に取り組む主人公。しかし制作はなかなか思うように進まず、彼女は狂気に呑まれていく。ここで思うのが、なぜいつも女性の表現者ばかりが狂気に呑まれていくのだろうか、ということ。これまで映画が内包してきたジェンダーバイアスへの批評性のなさが気になってしまう。本作におけるストップモーション・アニメは、グロテスクさを表現するいちアイテムでしかなく、そこにあまり世界観が感じられなかった点も残念だった。

  • 編集者、映画批評家  高崎俊夫

    どこかヤン・シュヴァンクマイエルのシュールレアルな悪夢的な世界を彷彿させる作風だ。ヒロインがコマ撮りアニメーターというのが異色で、斯界の先達である毒母の抑圧に抗い、解放を希求するも錯乱へと誘われる恐怖譚としてはポランスキーの「反撥」(65)も連想させる。東欧的で陰鬱なフォークロアの世界とオブジェとしての人形が腐臭漂う肉塊と化してゆくプロセスを克明に描写する粘着性へのフェティッシュな感覚が結びつき、露悪的なまでにグロテスクでおぞましい世界が現出している。

  • リモートワーカー型物書き  キシオカタカシ

    「才能の限界」「抑圧的な親子関係の葛藤」「表現と重なるトラウマ」「曖昧になっていく現実と妄想の境界線」……物語構成要素を挙げれば「ブラック・スワン」をはじめとした“芸術に殉じるアーティストを悲劇的に描いたサイコロジカルスリラー”のクリシェばかりで成り立っている本作。下手をすれば魂なき模造品になりかねないが、紋切り型もうまく扱えば勝利の方程式! 静=死に生を吹き込むストップモーションという素材の新鮮さ、そして監督の確かな才気が作品に血肉を通わせている。

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アーサーズ・ウイスキー

公開: 2025年1月17日
  • 映画監督  清原惟

    仲良しな70代女性3人が、若返ってしまうウイスキーを飲んで、若い女子の姿になって冒険をする。コメディとしては面白くできそうなアイデアだが、恋愛が軸で語られていくのにがっかりした。彼女たちのキャラクターが魅力的なだけに、ルッキズムを助長させるような語り方がもったいない。本来の自分自身を愛することや、同性愛などのテーマも後半入ってくるが、目配せと感じてしまう。このテーマでやるのなら、彼女たちが生きてきた人生をもっと力強く肯定するものになってほしかった。

  • 編集者、映画批評家  高崎俊夫

    世代は違ってもデビュー当時から見続けているせいかダイアン・キートンは同時代人だと思っている。近年は加齢に合わせ役柄も完璧な老境に入ったが、こんなジェリー・ルイスの「底抜け大学教授」(63)をヒントにしたような無理スジのユルユルなコメディにもきわめて寛容な気持ちで向き合える。というのも「アニー・ホール」(77)以来のあの得も言われぬ彼女の微苦笑が健在だからだ。しかし邦・洋画を問わず、なぜある宣告をきっかけに皆がスカイダイビングに挑戦するのかは大いなる謎である。

  • リモートワーカー型物書き  キシオカタカシ

    開幕から高らかに鳴り響くデイヴィッド・ニューマンの音楽とクレジットのフォントから脳裏に浮かぶのは、(英国映画ながら)子どものころ観た80年代半ば~90年代前半のハリウッド製ファンタジーコメディ。SNSやスマホが登場するたびに現代劇であることを思い出すが、良くも悪くも微妙に懐かしい味わい。ベビーブーマーを親に持ち70年代映画文化に憧憬を抱いて研究してきた世代としては、本作のダイアン・キートンたちの姿は同じ時間を共有した家族のように映り、ストレートなベタさも沁みた。

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敵(2023)

公開: 2025年1月17日
  • 文筆家  和泉萌香

    食欲も性欲もそれから排泄欲も、結局のところはすべて肉体からとおって出ていくだけといわんばかりのベタっとした闇に染められたモノクロ映像。美味しそうだか不味そうなんだかあいまいな食事(フードコーディネーターは飯島奈美さんとのことだが……)、そして人間のおかしみを体現する長塚京三。クライマックスはやや大味に思えるものの、これはブラックコメディなのだ!と笑う箇所から、気がついても醒めてはくれない連続する蟻地獄の感覚は素晴らしい悪夢だった。

  • フランス文学者  谷昌親

    ここまで日常を、しかも老人の日常を淡々と描いた映画は珍しい。特に料理や食事のシーンが印象的だ。主人公を演じる長塚京三は、いったい何度、自分で料理した食事をおいしそうに口に運んだことだろう。日常を十二分に見せておいたことで、どこまでが現実でどこからが夢や幻想なのか判然としなくなる後半の展開が生きてくる。筒井康隆ならではのカオス的な狂乱を吉田大八監督はみごとに具現化してみせた。それをハイコントラストのモノクロ映像に定着させた撮影や照明もすばらしい。

  • 映画評論家  吉田広明

    引退した仏文学教授の端正な老後生活の描写が淡々と積み重ねられる。時に友人と会話し、教え子と夕食を共にし、バーで酒をたしなむ。何の変哲もない日常だが、そこに時折違和が紛れ込む。生活資金や健康の不安、性欲、迷惑メール。これらの何が「敵」に変貌するのか、その微かな不安の持続こそがこの作品の身上だろう。しかし敵がイメージ化されてしまい、かつ現実と妄想が入り混じって来てからに驚きはない。折り目正しい老紳士の話だからモノクロ、の選択もうさんくさい。

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アプレンティス:ドナルド・トランプの創り方

公開: 2025年1月17日
  • 文筆業  奈々村久生

    ふさふさとした金髪をサイドに流した特徴的なヘアスタイルと、頭を大きく振ってその前髪を飛ばす仕草。それだけで誰もが知っているトランプ次期大統領の姿がありありと眼に浮かぶ。スタンの素顔は決してトランプに似ておらず、モノマネをしているわけでもわけでもないのに、ちょっとした振る舞いの端々に滲む“らしさ”の精度の高さに目を見張る。若きトランプが政財界を駆け上がっていくのに反比例したロイの失速はあまりに象徴的で、後半の展開をもっと丁寧なドラマで見られたらなおよかった。

  • アダルトビデオ監督  二村ヒトシ

    僕は悪いことをすることが悪だとはどうしても思えないのです。でも資本主義はどう考えても悪だし、勝ち負けがあるあらゆる場で勝ち続けようとすることも完全に悪だ。この映画を観て人間トランプに共感することはなくても、自分の中にもトランプがいると思えないリベラル男性はダメなリベラル男性です。観てる最中は面白くてさすがアッバシと感じてたのだが終わってみたら何かがもの足りない。現実のトランプがやってきたことに比べたら情報量が少なすぎたのだろう。4時間くらい観たかった。

  • 映画評論家  真魚八重子

    なぜ制作したのか?という疑問しか湧かない。トランプに対し批判的な映画を撮りたいのは山々だが、裁判沙汰など避けて通れないだろう。そのため本作はトランプが若かりし日に、エイズによって亡くなった弁護士との当たり障りがない話になっている。ゲイだと知りつつ親交があったという理解を示すつもりだろうが、それほど深い関係性はない。正直、トランプを持ち上げた業界人という域を超えるものは見えない。むしろ映画自体はトランプの下卑た人格への嫌悪が滲み出てしまっている。

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トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦

公開: 2025年1月17日
  • 文筆業  奈々村久生

    かつて香港の無法地帯として名を馳せた九龍城砦。イギリス統治下にありながら中国が領有権を保時する複雑なシステムのもとで、違法建築と独自のコミュニティがうごめくカオスは、いわば治安最悪のタワマン社会。劇中に登場するのはそれを再現した巨大セットだが、空間の狭さと縦長の高低差を逆手に取って縦横無尽に動き回るカメラワークは臨場感たっぷり。香港ノワールの人情噺と復讐譚をスタンダードに落とし込んだストーリーとともに裏社会をエンタメとして楽しむテーマパーク性に満ちている。

  • アダルトビデオ監督  二村ヒトシ

    CGもセットもお金はかかってるんだろうけど大味だし、基本設定も脇役たちのあつかいも雑だし、男と男の性的ではない因縁や友情にも、漫画だったら大好きなんだが映画で見せられる格闘アクションやイケメンの殺しあいにも僕は興味がもてなくて、しかしお好きな人なら楽しめるのかもしれないので、そういう人の感想が聞きたい。サモ・ハンの悪役はよかった。途中までコイツぜったい弱っちいだろと踏んでいたある登場人物が神秘的に強く、しかもそれで最後まで引っ張ってたのも漫画的で笑った。

  • 映画評論家  真魚八重子

    香港映画に対してまだ揺れる気持ちがある。黄金期の香港映画全体の力強さ、ハチャメチャさ、顔触れの豪華さといったものが、若干戻りつつあるが、まだ郷愁に囚われてしまって観客として前に進めない。本作のアクションは谷垣健治が手掛け、スピーディーだしドラマティックな要素もあってかっこいい。ただし昔の香港映画の破綻寸前な追い詰め方に対し、矛盾のない小さなトラブルで動いている、今の脆弱なストーリーでは物足りない。アクションを切羽詰まったものにする裏付けが欲しい。

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サンセット・サンライズ

公開: 2025年1月17日
  • ライター、編集  岡本敦史

    コロナ禍を描くうえで、重症患者や死者を頑なに映そうとしない映画界の不気味さは相変わらず感じるが、そこは差し引いても、現代日本のある様相を切り取ったエンタテインメントとして面白かった。郷里への思いがこもった宮藤官九郎の脚本、岸善幸のふざけすぎず堅実な演出がうまくハマった。もはや名優の風格を見せる竹原ピストル、少路勇介と見紛う三宅健(どっちも出演)、健在ぶりが嬉しい白川和子ほか、キャスティングも楽しい。これこそ宮城県の映画館で観たいご当地映画。

  • 映画評論家  北川れい子

    南三陸の風景がいい。人物たちがみなクセがあって面白い。お節介なエピソードも無理がない。出てくる食べ物がおいしそう。そして喪失感や痛みに対しての節度ある距離感。観終わって思わず“ケッ”と呟きそうになったりも。白川和子が演じる地元の老婆が発する言葉で、あげるから持っていけ、ということらしい。そういえば宮藤官九郎脚本の朝ドラ『あまちゃん』のときは“ジェジェジェ”が流行ったが、本作の場合はぜひ観て“ケッ”! 菅田将暉の久しぶりに気張りのない演技も新鮮で、お年玉のような娯楽作。

  • 映画評論家  吉田伊知郎

    震災とコロナを背景に描きつつ、声高な叫びも揶揄もなく、食を介して日常の細部を映し出す。「悪は存在しない」でも描かれた地方と都会の共存が描かれるが、双方の陰湿さをカラッと描く手腕が際立つ。菅田が独りごちながら魚を取って食す場面が多いが、松重豊のようにはいかず空回り気味。竹原ピストルも同様。逆に芸達者組がうまく補助し、受けの芝居が絶品の井上に加えて、攻めの芝居を自在に繰り出す池脇千鶴と三宅健が素晴らしい。予想外の存在感を見せるビートきよしにも驚き。

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室町無頼

公開: 2025年1月17日
  • ライター、編集  岡本敦史

    地獄のような庶民の窮状や、大スケールで描かれる一揆の場面など、現代に直結するメッセージ性をこれでもかと押し出す部分には作り手の本気を感じる。が、室町時代の文化や生活、メンタリティをどう描くかという好奇心や野心はさほど感じられず。また、おそらくジャンル映画的感性がもともと薄いので、クンフー映画やマカロニウエスタン風の味付けも上滑り気味。「侍タイムスリッパー」は時代劇再興には技術とセンスが不可欠であると証明したが、それを痛いほど裏付けてしまった。

  • 映画評論家  北川れい子

    なんとCMや司会などテレビに出ずっぱりの大泉洋が三船敏郎をやっている。いや、そう見える。無骨さや台詞回しは三船より薄味だが、演じている人物やその行動は「七人の侍」「用心棒」「椿三十郞」の三船を連想させ、観ていていささかくすぐったい。そして時代劇初挑戦の入江監督。“一揆”というエキストラの数からして半端ない集団闘争の長丁場は破壊、炎上、大乱闘と映像もかなりパワフル。けれどもそこに至るまでの話があちこちに分散しているせいか、いまいち盛り上がりに欠けもったいない。

  • 映画評論家  吉田伊知郎

    ジャンル映画に次々挑む入江悠の姿勢に毎回瞠目する。今回は、これまでほぼ手つかずの時代背景とあって自由度は高いだけに、京を終末感溢れる無国籍な街に作り変えて欲しかった。才蔵の修行シーンがショウ・ブラザーズのカンフー映画のようになるだけに。魅力的なキャラと設定が溢れるだけに交通整理に追われた感あり。謀略、情報戦など裏になっている設定が、台詞で説明されるだけに終わるところも少なくない。東映時代劇というより往年の角川映画が作る時代劇が甦ったよう。

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スケジュールSCHEDULE

映画公開スケジュール

2025年2月22日 公開予定

風に立つ愛子さん

2011年の東日本大震災で家を津波に流された村上愛子さんが、避難所から仮設住宅、復興住宅へと移り住んだ8年間を記録したドキュメンタリー。天涯孤独の彼女は避難所の集団生活で今まで知り合うこともなかった近隣の人々と寝食を共にし、かけがえのない時間を過ごす。2012年に公開された「石巻市立湊小学校避難所」の制作時、避難所で出会った愛子さんの明るく奔放な性格に魅了された藤川佳三監督が、以後断続的に石巻に通って愛子さんの姿をカメラに収めた。

初級演技レッスン

SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2024のオープニング作品として上映されたファンタジー。時が止まったような廃工場で『初級演技レッスン』を開いたアクティングコーチが、即興演技を通じて心に悲しみをもつ人々の記憶に入り込み、彼らの人生を遡っていく物語。父を亡くした子役俳優、そして演劇教育に悩む教師が、ミステリアスな演技講師と出会い、不思議な体験をしていく。監督は「写真の女」の串田壮史。熊克哉が演技講師の蝶野を、「夜明けまでバス停で」「STRANGERS」の大西礼芳が教師の千歌子を、「雑魚どもよ、大志を抱け!」の岩田奏が子役俳優の一晟を演じた。

ブライトン・ロック(1948)

殺人のアリバイを守るため少女に近づく少年が少女の純真さに心乱されるフィルムノワール。監督はジョン・ボールティング。原作はグレアム・グリーン。出演はリチャード・アッテンボロー、キャロル・マーシュ、ハーマイオニー・バッドリーほか。2025年2月22日より新宿K's cinemaで開催の「ブリティッシュ・ノワール映画祭」にてBDにて日本初上映。

TV放映スケジュール(映画)

2025年2月22日放送
16:30〜17:56 NHK

美女と野獣(1991)

19:00〜21:05 BS12 トゥエルビ

エージェント:ライアン

21:00〜23:00 BS松竹東急

必殺! 主水死す

21:00〜23:24 BS-TBS

ANNA アナ

2025年2月23日放送
02:45〜04:35 テレビ東京

ザ・リング2

12:06〜14:30 BS松竹東急

危険な女たち